ジュディス・バトラーにおけるジェンダー・メランコリーの系譜学①

目次

●前書き

第一章  フロイトのメランコリー論

 1−1 喪とメランコリー
 1−2 ある批判的審級
 1−3 エディプスコンプレクス

第二章  バトラーのフロイト批判

 2−1 法の遡及的効果としての「気質」
 2−2 同性愛の予めの排除
 2−3 パフォーマティヴなジェンダー

第三章  バトラーのメランコリー論の展開

 3−1 幻想的同一化
 3−2 隠喩と身体
 3−3 暴力とメランコリー

 

  私のうちに他人がある。そのことが意識されるのはおそらく、私の欲求を自分で規制するような心の動きがおこるときだ。たとえば、ウーマン・リブの運動家である田中美津はこのような体験を語っている。

リブを運動化して間もない頃、それまであぐらをかいていたくせに、好きな男が入ってくる気配を察して、それを正座に変えてしまったことがあった。あぐら革命的、正座反動的みたいな偏見から己れを嘆く訳ではないが、しかし、楽でかいていたあぐらを正座に変えてしまった裏には、男から、女らしいと想われたいあたしがまぎれもなくいたのだ。その時、もし、意識的にあぐらか、正座かを己れに問えば、あぐらのままでいいと答えるあたしがいたと思う。しかしそれは本音ではない。その時のあたしの本音とは、あぐらを正座に変えてしまった、そのとり乱しの中にある*1


 他人から押し付けられる女らしさに抗うというフェミニストとしての考えをもっているにもかかわらず、女らしいと思われたいために無意識にあぐらを正座に変えてしまう。そのようなとり乱しが生じると、私は引き裂かれていることがわかる。自分を縛りつける社会規範をかくも内面化、身体化した私たちは、ときに社会を殺すより自分を殺したほうが早いと思うかもしれない。私は私のうちにある他人に殺されそうになる、それがメランコリーの脅威なのだ。
本稿は、ジュディス・バトラーにおける「ジェンダー・メランコリー」の理論を系譜学的にたどり、その内容と変遷を明らかにするものである。バトラーは「ジェンダー・メランコリー」(gender melancholia、あるいはmelancholy gender)という、「ジェンダーを一種のメランコリーとして、あるいはメランコリーの諸効果の一つとして」*2(PP171)捉える理論を練り上げている。これは主に、精神分析創始者であるジークムント・フロイトの「喪とメランコリー」という論文に拠っている。フロイトによれば、「喪」はその喪失した対象が明らかになっているのに対して、「メランコリー」は何を失っているのかということが明らかでないために、ある種の深いうつ状態に陥るものである。バトラーのジェンダー・メランコリーとは、近親姦と同性愛の禁止(=社会的掟)によって引き起こされた対象の喪失が、ジェンダーアイデンティティ(=心的なもの)を構成するということを、精神分析の諸著作を批判的に読解しつつ理論化したものである。それは現代のジェンダー論に大きく影響を与えているにもかかわらず、メランコリーの概念に注目してバトラーのジェンダー論を論じているものはあまり多くない。
 バトラーの理論は、とくにフェミニズムクィアスタディーズの分野において、この二十年ほどさかんに論じられてきた。その論点として代表的なのは、パフォーマティヴィティ(行為遂行性)であり、バトラーは初期の『ジェンダー・トラブル』(1990年)から最近の『アセンブリ』(2015年)まで、まさにパフォーマティヴに、意味を少しずつ変えながらこの概念を使用してきた。パフォーマティヴィティとは、ジェンダー規範をはじめとしたさまざまな権力体制のなかにおいて、その規範に抗っていく力の運動のことであり、確かにバトラーのジェンダー理論の中核となっている。一方で、なぜバトラーはメランコリーにこだわったのか。メランコリーの概念は、バトラーが読んできた哲学者・精神分析家・理論家たちの著作の結節点であり、バトラーの戦略的理論の原動力でありながら、その理論の瑕疵ともなりうるのである。いわば、バトラー自身の内でのとり乱しでもあり、そこに重要な論点が多く含まれている。
 まずメランコリーといってすぐに想起されるであろう、病理との関係について簡単に確認しておきたい。本稿でメランコリーと呼ばれるものと、現代における「うつ病」は等しいものではない。しかしまったく関係のない言葉でもない。うつ病とおなじく、メランコリーもまた社会と個人が関係する中で罹る病理だが、そもそも「病」とは歴史的な概念である、ということを念頭に置かなければならない。メランコリーの語源にあたるメランコリア(μελαγχολία)は、ギリシア語で黒い(μέλας)胆汁(χολή)という意味の合成語である。ヒポクラテスの体液病理説では、黒胆汁・血液・粘液・⻩胆汁の四つの性質に分類されたうちの、黒胆汁質とメランコリーが結びつけられていた*3
 現代でも、人間の性質による区別と病理が不当に結び付けられた例がある。エイズと同性愛者だ。一九八〇年代、エイズという病理は同性愛嫌悪的な言説になり、同性愛者が社会から排除される構造と深く結びついてきた。バトラーの著作はつねに、この頃のエイズの流行と「アクト・アップ」*4をはじめとした同性愛者たちの活動のことを忘れていない。メランコリーは、そのように社会から排除され公的に哀悼されなかった者たちを、いかに社会のなかで承認し直すことができるかという問題を提起する。メランコリーは、喪の哀悼が行えなかった者たちを自己のうちに沈殿物として残存させる作用のことだ。それは、自己と他者、個人と社会、身体と言語のゆらぎをも抱え込む。バトラーはこう述べる。

私はただ、哀悼されず哀悼不可能な喪失に関するフロイトの思考と、多大な困難を伴うことなしに同性愛的愛着の喪失を哀悼できない文化の中で暮らす苦境との間に、何らかの生産的な収束をなすと思われるものを示唆したい。(PP178)

 本稿の議論の流れとしては、まず第一章で、フロイト精神分析理論をメランコリーの機構を中心にして概説する。喪とメランコリーの区別、他者との関係が自己の性格に変容をもたらす同一化のはたらき、さらにエディプスコンプレクスにおいてどのように性差が規定されているかについて論じる。つぎに第二章で、バトラーのフロイト批判の論旨を追う。精神分析の理論に根強く残る同性愛排除的な言説を批判しながら、「自然」としてみなされる解剖学的性(セックス)と、文化的に構築された性(ジェンダー)の切り分けの困難さについて述べる。さらに、異性愛主義的な言説におけるそのような区別を批判する戦略として、言語行為論を一つの源流とする概念であるジェンダー・パフォーマティヴィティについて概観する。そして第三章では、バトラーのメランコリー論の展開をたどる。ラカンアブラハム&トロークといったフロイト以降の精神分析家たちが構築した理論について、バトラーは何を受容し、何を批判したのか。メランコリーの概念を繋ぎ目として、身体と言語、そのあいだにはたらく同一化と隠喩の作用について論じる。最終節では、これまでセクシュアリティについて論じてきたバトラーが、近年国際的な政治問題についても積極的に論じるようになっていることに触れ、そこでもメランコリー、および哀悼可能性が政治の重要な原動力となっていることを明らかにする。
 本論のタイトルは、「系譜学」の名を冠している。系譜学とは、ミシェル・フーコーによれば歴史のなかでいつのまにか起源として捏造されたり、連続的で整合的な物語として解釈されたりしたものに抗するような学問のあり方である*5。バトラーは精神分析の物語に対してどのように批判を加え、どのように自らの議論を展開させたのか。ここではバトラーが参照している元のテクストにできるだけあたり、物語の一貫性に挑戦することを目指す。先行する諸テクストの読解を通じて、現代に生きるものとしての思考を強く打ち出しているバトラーの理論の、その一端が明らかになれば本論文の目標は達成されたことになるだろう。

 

つづき

*1:田中美津「わかってもらおうと思うは乞食の心」『いのちの女たちへとり乱しウーマン・リブ論』、パンドラ、2001年、69-70頁

*2:
ジュディス・バトラー『権力の心的な生』、佐藤嘉幸+清水知子訳、新版、月曜社、2019年。以下、略号PPと邦訳の頁数を文中に示す。

*3:
メランコリーの歴史を概観すると、古代ではヒポクラテスの体液病理説における黑胆汁のイメージがある一方、アリストテレスの『問題集』における偉人との結びつき(メランコリーは最初から両義的なイメージとともにあったといえよう)があった。中世ではデューラーの銅版画『メランコリアI』(1514年)に代表されるような土星=サトゥルヌスと、アレゴリー化の問題が生じる。そして二十世紀になり、フロイトよって、より科学的に病理としてのメランコリーが論じられる。また、ヴァルター・ベンヤミンには『ドイツ悲劇の根源』に代表されるメランコリーについての著作があり、そこでは歴史の方法論としてのメランコリーが論じられる。メランコリーについての著作は数多あるが、たとえば中世において共同体における魔女の排除にメランコリーが根拠づけされたことについて論じているのが、黒川正剛『魔女とメランコリー』(新評論、2012年)である。また、歴史のうちでとくに左翼運動(バトラーへの言及もある)とそこに取り憑くメランコリーについて論じたのが、エンツォ・トラヴェルソ『左翼のメランコリー隠された伝統の力一九世紀〜二一世紀』(宇京賴三訳、法政大学出版局、2018年)である。いわく、「メランコリーは、闘争と希望、ユートピアと革命と不可分であり、その弁証法的裏地を成すのである。メランコリーは左翼の「感情の構造」の一部である。これは、その批判理論と戦略的思考を刺激し、いぶきと想を与える。要するに、完全に左翼文化に属するのである」(236頁)。

*4:
アクトアップ(AIDSCoalitiontoUnleashPower)とは、1987年ニューヨークに設立されたエイズ患者の支援団体。「ダイ・イン」(道路などの公的空間で一⻫に伏せる)などのパフォーマンス的抗議をおこなった。

*5:
Cf.ミシェル・フーコーニーチェ・系譜学・歴史」、伊藤晃訳、『フーコー・コレクション3言説・表象』、ちくま学芸文庫、2006年、349-390頁

2022-0523〜0529

5/23
・労働が嫌すぎる。チームメンバーの機嫌に左右されるのめんどくさいし、早くチームの研修終わってほしい。
・葛葉・だるま・ラトナプティのえぺ配信面白くて寝るの遅くなった

 

5/24
・うるかさんランク配信早朝からお昼くらいまであって仕事中もずっとみてた
・お風呂でテジュ・コール『オープン・シティ』少しだけ読む

声と声が奏でる遁走曲の中で、私は聖アウグスティヌスのことを、そして彼が聖アンブロジウスに驚愕した逸話を思い起こした。黙読する術を見出したといわれる男だ。声に出さずとも記された言葉が理解できるなんて、たしかに不思議だ。今もこの日のように驚きを覚える。アウグスティヌスは文の重さと文の内なる世界を、音読によってよく味わったが、読書の考え方は彼の時代からだいぶ変わった。独り言を言う姿は奇行や狂気の徴である、と私たちは長いあいだ教え込まれてきた。会話のときや、群衆の中で声を上げるときを除いては、自分の声に少しも馴染みがない。けれども本は会話として受け取れる、つまりある者が別の者に話して聞かせていることとして受け取れる。そして会話なら声があるのが自然だ、という自然であるべきだ。だから私は自分を聴き手にすると同時に別の者になりきって音読したのだった。(9)

 

5/25
・やっと初任給。時給換算したら塾バイトと変わらないかなしさ
・うるかさんの夢をみた気がする。昨日のあちゃんと一緒にランクやってて、朝起きたらプレデターになってた。のあちゃんかわいくて穏やかで空気が良い。
・朝の電車(とても混んでた)で森下Suuの『ゆびさきと恋々』の第一巻読んでた。ザ・少女漫画的なきゅんきゅんがありつつ、耳の聞こえない女の子が主人公に設定されていることで、好きな相手とどういうふうにコミュニケーションをとるのかがより主題化していて良い。日々蝶々やショートケーキケーキも読み返したい。
相対性理論いつ聴いてもいい。東京の街で聞く曲。
・帰りに図書館寄る。『文学問題(F+f)+』『砂のペルソナ』『パリの砂漠、東京の蜃気楼』『思想 ジャン=リュック・ナンシー特集』借りる。
・お風呂の中で『パリの砂漠〜』読む。

ここ最近自分が厭世的になっていくのを止められない。まるでもう長いこと、自分は全くもって生きていないような気がしている。生きているのか死んでいるのかも分からないまま、助けてという言葉の行く宛てもなく苦しいだけの毎日が拷問のように延々繰り返される。これは一体自分のどの罪に対する罰なのだろう。

・見るべき配信もなかったしすぐに寝た

 

5/26
・仕事後、徒歩圏内の図書館に返しにいく。徒歩圏内といえどちょっと遠くて返すの面倒なので今回は借りず。図書館の中で『パリの砂漠〜』最後まで読み終える。
・PlasticTreeの剥製を聴きながら目を閉じて歩く。同じ曲を三回リピートした後、さいごの●静物で、ピアノの音がゆっくり息をひきとるのもまた良い。醜いものはここにはないよ。

最近イヤホンを外す瞬間いつも思う、この音楽のない世界に戻ることは死に等しいのではないだろうか。いらっしゃいませという言葉にこんにちは、とにこやかに答え、受付でメンバーズカードを出しながら、想像でしかないけれどへその緒を切り離された胎児の悲しみに近いものを感じる。イヤホンを外すたび、私は自分を内包する暴力的な強度を持った現実に傷つく。お酒やドラッグ、ギャンブルや恋愛などと違い、音楽依存による弊害は聞いたことがないが、ここ最近音楽への依存が激しくなっていることに不安がなくもない。最近は寝る時もイヤホンで音楽を聴きながらベッドに入る。たまに激しいイントロで動悸の中目覚める。悪夢を見て起きると大抵イヤホンのコードが身体に巻きついている。〔…〕常に人と向き合いながら、激しい乖離を感じる。音楽を聴いている時、きっとその乖離が軽減されているのだ。中毒になるものというのは、往々にしてそういう性質のものなのかもしれない。自分との融合を感じられる瞬間が、脳を溶かすのだろう。でもそもそもどうして自分がこんなに乖離しているのだろう。(161-162)

・乖離についてはこのエッセイのいちばん最後でも、触れられている。普通に日常を生きる自分と書く自分の乖離、ずっと泣きそうで辛くて寂しいけど幸せでもある乖離。
・きのうドラッグストアによって試したアンドハニーのオイルがよかった気がするので買ってみた。香りはよく、さらさらになる気がする。これも胡桃のあちゃんが最近シャンプーこれ使ってるって話してて気になったもの。Vtuberが食べた食べ物もシャンプーした髪も見えないのに、見えないからかより興味をそそられる。

 

5/27
・昨日寝る前『ゆびさきと恋々』2巻読んだら身悶えしてまた映画の『白河夜船』を少し見た。待ち合わせのシーンの、二人の会ったばかりだし街中だからすこしよそよそしいけど親密なことがよくわかる仕草が好きで、そこばかりみている。そういえば今日この小説を会社に持ってこようと考えていたのに、すっかり忘れて『パラダイス・モーテル』を持ってきた。マコーマックは絶対面白いのでもったいながって積んでた。
・雨風が強い日に限って出社。湿気と眠気で終始ぐったり。
・新宿紀伊國屋にリニューアル以来初めて行ったけどなんか蔦屋書店みたいでよそよそしい雰囲気。新刊は『メキシカン・ゴシック』が面白そうだった。ブロンテ姉妹、デュ・モーリア、シャーリィ・ジャクスンの愛読者は必読!っていう強い帯が巻かれてるの。そのほかは特に目新しいものがなく、あんまり新刊書店に来る意味ないかもなあ。大きい図書館か古本屋がいい。

 

5/28
・美容院へ。ストパーかけて完全無欠の黒髪ボブになった。待ちの時間で『パラダイス・モーテル』結構読み進んだ。
・日傘のおかげでだいぶ楽に移動できる。ラフォーレでsheglitのワンピース着たらめちゃくちゃ似合ってしまったので買ってしまった……。このあいだ2万のワンピース買ったばかりなのに……。sheglitはクラシックロリータをたくさんつくってるブランドだけど、ちょいちょいロリータ初心者でもかなり着やすい感じの服があって、前々から着てみたいとは思っていた。お店の人が言ってたように、ロリータは別に流行りとかないし、買ったワンピも中にブラウス足したりして一年中いけるし、壊れたり飽きがきたりしない限りずっと着られる。思えば小五くらいからずっとゴスロリへの憧れはもってて、でも金銭的にも社会的にもそれを実際に自分が着るとあまり想像したことがなかった。でもゴスロリ着こなして買い物に来ている人をみると、自分も着たい!って現実的に思うことができた。ファッションは外圧と好みをうまく合わせなくてはいけないと幼い頃から知らず知らずのうちに抑圧されてきたと改めて思う。フランス語の授業が同じだった人にもゴスロリ風の服着てて優美な日傘を持っている人がいたことを思い出した。

5/29

・暑い。30度ごえとか。

・モニター届く。dellの2万のやつ。これでゲームも映画も大画面でみられる(一応仕事用に買った)。
・知り合いの演奏会。なんかほとんど寝てしまった気がする。そろそろプロのコンサート行きたいな。
・昨日買ったワンピ着ていった。心から着たい服を着るだけで気持ちが強くなる。
・小学生のあだ名呼び禁止が話題。同年代の子が無差別に集められる学校という場がある限り、暴力的なことはなくなるはずがないのでそんなことをしても別の問題をよぶだけ。だが、私は会社の人は会社の人として接したいので一律に〇〇さんと呼んでいる。同期どうしがあだ名や下の名前で呼んでるのみると、「そんな学校みたいなノリ…」と苦々しく思う。

2022-0322〜0401

3/22 火

 電話越しに怒られる夢。郵便局まで歩くと雪が降ってくる。ついでに本屋で塚本邦雄『十二神政変』、コーマック・マッカーシーザ・ロード』買う。寒いのでそそくさと帰ってパジャマに戻る。急に停電の警告がある。ベッドで江國香織の最新作の『ひとりでカラカサさしてゆく』を読み終える。最も好きな作品を更新することはないだろうけど、読めば必ず良いと思える作家だ。そのままライカート『オールド・ジョイ』見はじめたらいつのまにか眠っていた。ごはんの後ふたたびみる。山の中の温泉気持ちよさそう。ルーシーお利口。葛葉のエルデンリングの配信が始まったのでそっちみつつ、『葵ちゃんはやらせてくれない』をみてたが、半分ほどでやめた。あとはいろんな動画みて寝た。

 

3/23 水

 YouTubeみてバイトしたら一日が終わった。こういう無力な日が三月は続いた。

 

3/24 木

 バイト最後の日。三年半続いたしそれなりにやりがいを感じていた仕事だった。生徒としてその後先生として二年ほど付き合いのあった人に最後に会えてよかった。

 

3/25 金

 卒業式だった。快晴。始発で着付けとかの人もいるなか午後からの着付けで助かった。赤の松竹梅の古典柄、ちりめん布の着物に緑のグラデーションの袴。袴を着る機会ももう一生に無いだろうからコスプレとしてよい経験だった。しかし大学には図書館しか居場所がなかったということが最後まではっきり感じられ、かなり惨めな気分でいる。椿山荘で母とさして美味しくもない食事をとって、袴のまま帰宅。 

 

26〜29

あまり記憶がないが、家でごろごろしたり必要品揃えたりしてたら過ぎた。

 

3/31(木)

 二日間図書館に通い『鋼の錬金術師』と『聲の形』を読んだ。鋼の錬金術師はよくできた作品でかなり完成度が高く、よかった。wikiみたら作者の荒川弘は女性で、子供産んだときも全く休載せず描ききったらしい。非人間? Tと二日連続で会えてご飯食べたり歩いたりして嬉しい。今日を永遠にループしたかった。

 

4/1(金)

 雨風強く、緊張と興奮もあって寝た気がしなかった。朝の電車に乗るが、じめっとしていて気持ち悪くなる。さいきんずっと聴いている委員長の雑談アーカイブを聞いて気を紛らわせる。入社式。途中で生理が来たのがわかる。どうやら運良くホワイト企業に入れたっぽい。同期の人たちも話しやすい人多く、わりと不安は取り除かれる。

 

藤枝静男「空気頭」について

 

はじめに

 

 日本の近現代小説を一考するうえで、「私小説」の系譜を無視することはできない。私小説とは、「書くこと」と「私」という小説における根源的な要素それ自体を題材とし、小説という形式にする試みのことである。仮にその源流を田山花袋の『蒲団』(1907年)とすると、私小説の歴史は約百年のことであり、数多の小説を私小説の流れのなかに位置づけることができる。本稿では、「私はこれから私の〈私小説〉を書いてみたいと思う」という驚くべき宣言からはじまる、藤枝静男の「空気頭」という小説について論じる。藤枝静男は、志賀直哉を公式の師匠と仰ぎ、また笙野頼子から師匠と仰がれている人物である。1908年に生まれ、戦中は医師として働き、戦後(1947年、39歳)から執筆活動を始めた。私小説の歴史の特異点ともいえるこの小説は、いかなる時代的背景から生み出され、いかなる「私」を描いているのだろうか。

 

 

特権的な私

 

 戦後の日本における「私」はどのように問題化されていたのか。藤枝は「志賀直哉天皇中野重治[1](1975年7月)という文章のなかで、志賀直哉中野重治の書簡や小説を書き並べ、小説内の「私」という位置の特権、ひいては最も特権的な「私」たる天皇をめぐって決裂してしまった両者の争点を第三者的に観察してゆく。出来事としては、1946年、中野の「安倍さんの『さん』」という文章を読んで激怒した志賀が、「新日本文学会」を脱退してしまったことである。藤枝は当時の書簡を並べ、そのいきさつを丁寧に説明するとともに、彼らのやりとりの内容が天皇制と天皇個人、あるいは小説と小説内の「私」に関する問題であったことを明らかにする。志賀は「今度の戦争で天子様に責任があるとは思はれない。然し天皇制には責任があると思ふ」と書き、天皇天皇制を分離したうえで個人としての天皇を責めることはできないとしている。それに対して中野は、「国民は飢えていて天皇とその一家とは食いふとっている」という、依然裕福で食うに困らない地位にある天皇に対して嫌悪を顕にしている。また中野は、志賀の『暗夜行路』の語り手である謙作が、特権階級的な意識をにじませていることを批判する。そのような小説に対するある種の社会的な批判は、志賀には「芸術に成心を持ちこむ」とうつり、それゆえ「小説を中野君のやうな態度でしか見なければゐられぬという事は不幸」と切り捨ててしまう。

 中野の『五勺の酒』(1947年)には、「問題は天皇制と天皇個人との問題だ。天皇制廃止と民族道徳樹立との関係だ。あるいは天皇その人の人間的救済の問題だ」[2]という一節が示すように、「天皇天皇制からの解放」を訴える「僕」の語りがある。これを藤枝は、この小説の発表前年に志賀からなされた指摘を、中野は自己批判的に受け取って書いたのではないかとしているのである。たしかに「僕」の主張は志賀と同じものだが、その真偽のほどはわからない。ここで藤枝は、志賀の特権的な自我と中野の国家対抗的自我という対立構造を解きほぐしてなんとか両者の一致の点を見つけようとしながら、自らはそのどちらにも同意することができ、どちらでもないような書き方をしている[3]

 ところで藤枝自身は天皇についてどう書いているのか。「志賀直哉天皇中野重治」を書いたのと同年の1975年11月の時評では、このように書いている。

 

天皇の生まれてはじめての記者会見というテレビ番組を見て実に形容しようもない天皇個人への怒りを感じた。哀れ、ミジメという平生の感情より先に来た。いかに『作られた』からと言って、あれで人間であるとは言えぬ。天皇制の「被害者」とだけ言ってすまされてはたまらないと思った。〔…〕三十代の人は何とも思わなかったかも知れぬ。私は正月がくると六十八歳になる。誰か、あの状態を悲劇にも喜劇にもせず糞リアリズムで表現してくれる人はないか。冥途の土産に読んで行きたい。[4]

 

 中野は天皇を哀れで滑稽な人間として描写した[5]。藤枝はさらに天皇を「人間であるとは言えぬ」とまでいい、悲劇にも喜劇にもならない「糞リアリズム」の描写を望んでいる。この「糞リアリズム」という表現を、藤枝は『空気頭』の描写について説明する際にも用いている。大きな手術が終わって「おなかが空いたあ」と「たてつづけに喋舌っている」妻に対して、「私」が「妻を哀れに思い、愛を感じた。半分死人となった妻に、はじめて心からの愛情を持った」と思う場面(50-51)である。川西政明にこの場面について指摘されると、藤枝は「それは、だって、事実だから。妻のそういう言葉で、僕は非常に衝撃を受けたんだよ。それは本当のリアリズムなんだ。糞リアリズムといってもよい」[6]という。藤枝は小説で直接的に天皇について書いたわけではない[7]。しかし、私という存在に「糞リアリズム」的に迫った結果、人間であるはずの私が人間でなくなっていくという解体が起こることは間違いない。『田紳有楽』(1976年)がその最も極端な例で、「私は池の底に住む一個の志野筒形グイ呑みである」とまでになるのだ。『空気頭』の語り手は一応人間の私を保っているものの、その構成によっても、「空気」による治療法によっても崩壊の兆しはみえている。以下、「空気頭」の私がいかなる語りをしているのかみていきたい。

 

 

分岐する私

 

 「空気頭」という題の小説は二つ存在する。1952年に『近代文学』に書かれたもの(以下「初稿」と呼ぶ)と、1967年に『群像』に書かれたものである[8]。一般に流通している講談社文芸文庫に収められているのは、後年の完成稿の方だ。完成稿は、①私小説を書くと宣言し、妻の結核の治療と向きあう私の語り(1966年の視点)[9]、②上半盲の症状がある私の語り、③1967年の私の日記、の○で区切られた三つの部分からなる。初稿は、「東京医科大学中退の精神薄弱性インポテント患者A君」が、自らの上半盲の症状とその治療法(空気を頭に送り込むこと)を、「神経科専攻の君」に対して説明するという形式をとっており、内容的には完成稿の②の部分にあたる。ただし、同一の名を与えられた初稿と完成稿には決定的な違いがあり、その違いが「空気頭」を特異な「私小説」へとならしめたと考えられる。

 まずはその構成の違いである。付け加えられた①の部分は、長く続く妻の結核治療の様子が私から語られる。藤枝の妻が肋骨と左肺の切除手術をしたのが1962年ごろであり、初稿から完成稿のあいだに実際の出来事としてあったことだとわかる。そのためこの部分は、冒頭で瀧井孝作が言ったという私小説のあり方、「自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく写して行って、それを手掛かりとして、自分にもよく解らなかった自己を他と識別するというやり方で、つまり本来から云えば完全な独言で、他人の同感を期待せぬもの」(38)だということもできる。しかしそのように示されている私小説のあり方、「一分一厘も歪めることなく写す」ことがそもそも可能かどうか、それをしたところで「リアリズム」になるのか、「空気頭」の全体の構成が疑っていることは間違いないだろう。

 藤枝作品の「私」(章と名を与えられることもある)には、家族に対しての強いこだわりがある。長年にわたる繰り返しの治療で弱っている妻や、幼い娘が抜歯で泣いているのをみて、私は「肉親の見苦しい姿は、そのまま理屈抜きに私自身の醜さとして映る」(43)のだと憎悪をあらわにする。このような妻とその裏返しとしての自分への嫌悪は①の部分で通底する感情となる。しかし私は決して妻の治療を諦めようとはせず、「冷静に歩を進めて行けばよい」(59)と気丈な様子をみせている。この治療に対しての姿勢は、②の部分の末尾で、「いったん道をみつければ、あとは努力次第です。だから私は努力してこの装置に改良を加え、結局は空気で私の全脳髄を充満させ、完全な空気男になってフワフワと昇天してみせる決心でおります」(124)という姿勢と共通する「私」のものだということもできるだろう。ただし、①の引用した前文のあとには、不穏な両側の行空きで「今日は妻の死んだときのことを楽しく空想した」(59)という一文が挟まれる。その文から後は、過去の回想が多く挟まれ、「空想」や「想像」の言葉も多く登場し、虚実や時制が曖昧なまま②の部分へと続く。このなかで印象的な回想場面として、私と妻が私の故郷に帰って墓掃除をした際に、私の父の眠る墓をみた妻が、「わたしはこのお墓に入るのは嫌です」と思いつめたように言ったことがある。それを聞くと、「反射的に、(裏切られた)というような、異様な不快感が私を襲った。——あれが俺だ」(68)と、私は「俺」という男性中心の家系に連なっている自らの存在を感じとる。父から引き継ぐ家系とそれに抵抗する妻は、蓮實重彦の分析の通り、巨木の枝の分岐に擬えることができる[10]。私は「ふた股に分かれ」た松の巨木を見ているうちに①から②へと移行するのであり、私自身がその分岐の地点に立たされているのだとわかる。②からは口調がですます調になり、結核の妻がいるのは共通しているものの、はっきりと同一の「私」だとは同定できないような移り変わりがある[11]。この分岐された私こそが「私の私小説」なのだ。

 

 

抑圧/解放される私

 

 さて、二つ目の決定的な違いは、上半盲の原因にある。初稿においては、「己」は「昭和二十年の八月二十三日の暁方、ビルマの山の中で、頭の鉢の後ろの方を、横からパンと射ち抜かれ」る経験をした。その「鉄砲玉と一緒に、Apaticoccus carnosusとLogococcus robustustが射込まれ」、「あの黴菌共が、意識を失って抵抗力のまるでなくなった己の脳味噌を、勝手に貪食して分裂を繰返し、それで己はとうとう己の視野の上半分を彼奴等に喰われて了った」(14-15)のだという。つまり直接的な戦争体験がその病の原因となっている。それに対して完成稿の方は、症状を自覚したのは「戦争末期のころ」であり、「ヴィールス類似の起炎菌」によって神経が圧迫されているという部分は同じなのだが、そのヴィールスは「遺伝的に、血液を通して私の体内に伝えられ」たのだとする(76)。そして遺伝しているのは「淫蕩の血」であり、「性慾の昂進と精神の不安と重圧」が上半盲の症状として表れ出ているのだと、私は解釈している。私は医者の身分であるから戦争中は「海軍火薬廠のあたりでのうのうと暮らし」(75)、直接的な肉体の損傷を受けたわけではない。このことは①の部分でも強調されていて、「私自身は戦争なんかで肉体的にも精神的にも何の傷も受けはしなかった」(藤枝により近い「私」はもちろん完成稿の方であり、そこには戦争に対しての距離感の違いがうかがえる。敗戦後まもなくの日々では、「何もかもが突然断ち切られてしかも自分の身辺には何も始まらなかった、あのポカンとした空白、物理的空白」があり、それが「上半盲の発現と性衝動を同時に抑制した原動力となっていた」(84)。このような「空白」を、藤枝は「詔勅と占領との間」[12](1974年)という随筆でも書いている。「戦争は終わったが敵兵の姿は見えないという、形式的には全く平和な、しかし精神的には不安に満ち満ちた一瞬の時期であった。あの空白期に遭遇した人々の肉体と精神を如実に描いてくれた人が一人もいない。誰か書いてくれぬか」と。誰かに書いてほしいというのは藤枝独特の謙遜の言い回しなのかもしれないが、「空気頭」の「空気」とは、このような戦後の日本の人々がそれぞれ体験した個人的な肉体感覚としてあるといえる。

 私は戦後、一度は上半盲と性慾を増進させる方へと向かい、人糞をつかった薬の開発に励むのだが、「時がたつにつれて」「だんだんと」自分の病気に対する認識の誤りを悟る(115)。「打ち勝ちがたい敵」である性慾から「自然の恩寵によって解放された現在」では、人工的に脳内に空気を送り込むことによって「私に遺伝し私につきまとって来たあのヴィールスの増殖」は「抑圧」され、「過去の私自身から物理的に脱却」することができるようになった(123)。しかし、果たして私はその病と治療から完全に解放されたのだろうか。「私を苦しめる重圧そのものであり、また私自身の姿でもあるよう」な飛翔することのない「蛾」の幻影は、一度私を解放したかに思える(123)。しかし文章の順序では前にあっても、時系列的には「解放」の後にある②の冒頭では、「自分の頭のなかが、電車の振動につれてガサガサという、蛾の羽撃くような乾いた音」(70)をたてているという描写があり、私は蛾=自らの重圧から逃れられていないことがわかる。さらに、③の1967年の日記では私がベトナム戦争の映画を見たと書かれている(127-128)。初稿から完成稿のあいだには新たな戦争があり、「私」は戦争からもまた解放されていない。そして映画のなかで、ベトナム兵に殴られたベトコンに対して「かばうように付き添って歩」いたにもかかわらず水に沈めて平然と殺した青年を見ると、自らもまたこのような「平気で弱いものに冷酷になれる人、味方に似たふるまいを見せていて裏切る人」のうちの一人だと思うのだ。私は、画面の中の戦争を自分のものとして感じながら、しかしその後には「風呂に五分間はいって、またベッドに戻」るというような「平生の生活」を送っている。1967年の私は、「気質に対する常に不愉快な人工的な抑圧」にすぎないはずの人格を誉められたこと、「人格者」と云われたことが癪にさわり、この自らに課した「人工的な抑圧」に無意識に従ってしまうことを恐れている(126)。抑圧と解放の間で葛藤する私は、志賀と中野のあいだで揺れていた藤枝とともに、戦後の空気を重たく頭に残した人間のひとつのあり方として描かれているのだ。

 

[1] 藤枝静男志賀直哉天皇中野重治』、講談社文芸文庫、2011年、141-196頁

[2] 中野重治「五勺の酒」『中野重治全集3』、筑摩書房、1996年、13頁

[3] Cf.笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』、講談社、2020年、187頁

[4]藤枝静男著作集 第四巻』、講談社、1977年、378頁。この箇所は、文庫解説で朝吹真理子が引用しているのに加え、「私が藤枝静男の熱心な良き読者であるわけがない」という金井美恵子が『カストロの尻』(新潮社、2017年)でも丸々引用している部分である。

[5] 「五勺の酒」のこのような人間としての天皇の描写に革新性をみているのが渡部直己『不敬文学論序説』(ちくま学芸文庫、2006年、140-153頁)である。

[6] 藤枝静男川西政明「〈極北〉の私小説」『文学界』1985年5月、65頁

[7] ただ、「土中の庭」(1970年)の冒頭は、昭憲皇太后が作ったとされる短歌を誤解した少年の私=章が、「皇太后陛下が、どこかで熱心に睾丸を磨いている光景」を想像する場面である。深沢七郎の『風流夢譚』と似たユーモアではないだろうか。

[8] それぞれ『藤枝静男著作集 第六巻』(講談社、1977年)を参照し、頁数は本文中の丸括弧内に示す。

[9] 講談社文芸文庫版にはないが、『著作集』では妻のことが語られる前(40頁)にも○がある。ここではまとめて①とするが、この断裂を重要と考えることもできる。

[10] 蓮實重彦藤枝静男論 分岐と彷徨」『「私小説」を読む』、中央公論社、1979年、58-172頁

[11] 佐藤淳二は①から②への移行を「映画的なモンタージュ」になぞらえている。Cf. 佐藤淳二「〈差異〉の身体=機械学」(『機械=身体のポリティーク』、中山昭彦・吉田司雄編、青弓社、2006年所収)。本稿は佐藤の論考から学んだところも多いが、題名からしてわかるようにポストモダン的語彙が多分に用いられているためそれを取り除いた次第である。

[12] 『著作集 第四巻』、前掲書、432頁

2022-02-14(日記者/散逸)

 

 

しかしあたりまえながら日記者は日記を書いているとき最も上きげんで最も健康なのだ。日記を書く時間をぬすめたかぎり、日記者の生存は安泰であり、ごく平坦な日常にまぎれていようと制作に没入していようと、あるいは喜怒哀楽の高揚にあろうと、ふりかかる難題をしゃにむに取りさばいている充実にあろうと、日記を書かないでいるなら日記者はあやうい。
よぶんな存立といぶかられもしようが、生きものとしての存在と制作者としての存在という、しばしば対立し亡ぼし合おうとする2者にくわわる、いわば3つ目の位格として日記者はあり、双ほうの熱量をぬすむようで補給し、補給するようでやはりぬすみ、だがどちらかの半死のきわにはどちらの代替ともなって衰減をくいとめ、それでいて2者を調和させるのではなく、相剋がけして解消しないようにそれぞれをそれぞれに保たせるのである。

 

黒田夏子『累成体明寂』

 

 

 

以前は無限に感じられていた読みたい本、見たいコンテンツがさいきんでは有限に感じられるようになってきており、こういうときひとは制作者になるのかもしれないと思った。じっさい論文はそういうモチベーションで書かれた。

 

いつのまにか大学生活が終わっていた。コロナが流行ってからの記憶があまりなく、なんの成果もないような気がしてくるが、一応以下のようなタイトルの文章を書いてきて、十八歳のころに比べれば多少成長とよべるようなものがなにかしらあったのかもしれない。それにしてもこの文章のテーマの散逸がそのまま学部のディシプリンの無さを表しており、良くも悪くもなにか一つのことを探求するということがなかった。いまも何か書きたいという気持ちではあるが、何を書くべきか定まっていないと書けないので、書けない。

 

 

ジュディス・バトラーにおけるジェンダー・メランコリーの系譜学

ジュディス・バトラーにおける「エイジェンシー」の可能性

・家族規範をゆるめる(『アンティゴネーの主張』と『最愛の子ども』)

松浦理英子の小説における対話性

・両性具有について(ヴァージニア・ウルフ金井美恵子松浦理英子

・ウルフ『オーランドー』について

星座から万華鏡へ ベンヤミンのアレゴリー論

ドゥルーズの「超越論的経験論」とは何か

ドゥルーズと音楽

・声と窓 デュラス『モデラート・カンタービレ』について

エリック・ロメールの映画技法

・無限の凝縮としてのボルヘスアレフ

岡上淑子のフォト・コラージュ

フッサールにおけるデカルトの批判的継承

・アルベルチーヌは語る(レヴィナスプルースト

イメージの構築と破壊   山尾悠子「夢の棲む街」について

・文学の戦争機械   モニク・ウィティッグ『女ゲリラたち』について

藤枝静男『空気頭』について

・日本におけるキリスト教讃美歌の受容

・知への意志としての哲学

・近代フランス語詩の歴史

D・W・グリフィス『田舎医者』の分析

・学校と性教育の困難

メルロ=ポンティ「幼児の対人関係」における他者理解=自己認識の問題

エリック・ロメールの映画技法

学部三年の冬に書いたものです。一つの作家の映画を三つ以上見てそれらについて論じる、という課題でした。ちょっとレトリックを覚えたのかもしれない。

 

 

「私が長らく不満だったのは、映画であれば画面にラジオもステレオも音楽家も見えないにもかかわらず、然るべき時に妙なる音楽が流れ登場人物たちはいとも簡単に甘美な気分に入り込めるのに、現実生活においてはそういう風にうまく音楽が流れはしないことなの。」       ——松浦理英子『セバスチャン』

 

 

 

 現実と映画はいったい何が違うのか。アンドレ・バザンが提起したリアリズムの問題を「コペルニクス的な革命[1]」と呼んだエリック・ロメールの映画には、大きく分けて二種類ある。ロメール自身が脚本を書き、現代の日常的な男女の恋愛模様を描く「六つの教訓物語」「喜劇と格言」「四季物語」のようなシリーズ作と、文学作品を題材にし、セットやCGを用いて中世やフランス革命時を描く『聖杯伝説』『O侯爵夫人』『グレースと公爵』などである。よく知られているのは前者の作品群であり、後者は例外的なものとみなされることも多いが、映画という現実を追求するというスタンスは一貫している。

 

身振りと自然さ

 カメラの前でロメールの書いた台詞をそのまま語って演じてみせる役者たちを、自然だ、と形容してしまうのは、高機能のカメラがついた機械を日常的に携帯する私たちがカメラのレンズを向けられることにあまりにも慣れてしまっているからではない。たしかに、派手な殺人も起こらなければ超常現象も起こらず、ただ(中産階級と思われる)人々が街や家で会話する様子を映すことの多いロメールの映画は、生活のなかで見聞きする時間や風景がそのまま映っているように思える。そもそも、日常におけるすべての動作が「自然」かどうかはわからない。たとえば『美しき結婚』のサビーヌは、結婚することに意気込むあまりエドモンの前で自然に話せなくて落ち込むように、恋する相手の前では自然にできないかもしれないし、わざと自然を装うこともあるだろう。人物の語る言葉も、場所もあらかじめ監督によって決められ作り込まれているにもかかわらず、作為ではなく自然にみえるとすれば、それは俳優の身振りによるものだ。監督はクランク・インの半年から一年ほど前から、俳優たちの個性を理解するために話し合い、カメラの前でのリハーサルをおこなうという[2]。それによって俳優の自然さを引き出すのである。その自然さとは、カメラの前にいるということを感じさせないということである。
 『レネットとミラベル/四つの冒険』の三話目「物乞い、窃盗常習犯、女詐欺師」では、街中にいる物乞い[3]にお金を渡すレネットと、その時は渡さなかったミラベルとの会話が歩きながら繰り広げられる。手持ちの16ミリカメラは二人を、最初は正面から、やがてミラベルの横から、そして後ろから、人通りの多い街の制約された動きで収める(図A)。その間も車や街のざわめきで声を消されそうになったり、陽光に目を細めたりしながら、言い合いに熱が入って思わず立ち止まり、特にレネットは手を大きく使って話し合う。そのような身体の動きが自然さを装うのだ。
 その後の、ミラベルがスーパーマーケットで万引きする女を目撃する場面は、ミラベルの視線と万引きの女、それを怪しむスーパーの管理員二人の空間的な配置が見事なシークエンスである(図B)。これら二つともお金や犯罪にまつわるブレッソン的テーマともいえるシーンであり、ロメールブレッソンの俳優の用い方(素人を使ったり、リハーサルをくり返して「自然な」あるいは「機械的な」動作を引き出すような手法)は、しばしば比較される[4]。しかしここでロメールは、万引きの女がサーモンを鞄(万引きにしてはかなり目立つ青色の衣服と鞄である)に入れる時の、手元のみのショット以外は、全身、あるいは腰あたりまでを収める。「手のしぐさは、私にとって、顔の表情と同じくらい大切なものです[5]」と語るロメールは、しかし身体を断片化して切り取らずに、顔と手の両方を収め、あくまでその個人全身の表現を尊重するという手法を取る。また、万引きした物の内わけはサーモン、鴨のコンフィ、シャンパン、レモンというなんとも奇妙な取り合わせだが、このようなディティールも映ってしまうということが、映画の現実性である。ロメールは「超直接 hyperdirect」という言葉を使ってこのことを説明している[6]。「女は万引きをした」という一文で表されることに、どういう表情で周りを窺っていたのか、何を盗ったのか、何を着ていたのか、その場所にはどれくらい人がいて、どんな音楽が流れていたか、というような細部が否応なしに付随する。そうした過度な直接さが映画の自然さを支えている。

 

 

リアリズムと虚構

 バザンの有名な『市民ケーン』論では、一般にパンフォーカスと呼ばれる、画面の深い(つまり平面上では上下に事物が配置される)ショットによって、手前と奥とで多層的な動きを作り出すことがリアリズムをめざす立場であると論じられる。並行モンタージュのような現実では知覚しえないものを映す操作が介入しない、という点でそれは現実に近しいものなのだ[7]
 ロメールの映画は、バザンのリアリズムの実践であると言われることがあるが、そのわりにロメールは、どちらかといえば、手前の事物や人物のみにフォーカスして、陰影のないのっぺりとした画面を作ることの方が多い。『聖杯伝説』ではそれがセットであることをありありと晒す、単色の背景が用いられているし、石造のパリの街並みでも、緑のある郊外の公園でも、青みがかった靄のたちこめる海岸でも目を惹く赤色の衣装は、背景から人物を浮かせる。ロメールは「平野の映画」と「山の映画」という表現で自身の映画を種別している[8]。『クレールの膝』は、「山の映画」に分類され、切り返しショットを用いずに、同一ショット内の平面の上下で人物がやりとりすることが多いと自身は語っている。もちろんそういう場面(図C)もあるが、実際は切り返しショット(図D)もよく用いられていて、たしかに「山」ではあるのだが、セザンヌの絵画のような奥行きのない山である。
 しかし珍しく奥行きをうまく利用した場面が、『飛行士の妻』にはある。アンヌの(元)恋人である男(=飛行士)がアンヌとは別の女といるところを「機械的に」尾行してきてしまったフランソワが、リュシーと出会い、公園でさりげなく見張る場面である。手前に腰掛けるフランソワとリュシーの間に、池を挟んで向こう側にいる飛行士とその恋人(とフランソワにはみえる人)がぼんやりと映っている(図E)。鳥のさえずりや公園にいる人たちの声なども聞こえるが、マイクは草陰に囲われるところにあり、同時録音であってもノイズが入りすぎないようにコントロールされている[9]。この映画は、題名が映画内では結局誰かわからない「飛行士の妻」であることからして、人物の不在とフランソワの夢、あるいは虚構とが主題になっている。二人の会話[10]で面白いのは、フランソワにリュシーが、「映画の主人公の気分で純真な恋人を疑っているだけよ」と言うことだ。映画の中の人が「映画みたい」と表現することは、映画内の時間がひとつの現実であり、同時に私たちが虚構を見ているのだということを示す効果がある。また、ここではフランソワの語る話と、それを「作り話」だと思うリュシーとが異なる虚構の次元にあることを表している。フランソワの「作り話」の中の人物が奥にいることで、虚構の人物がぼんやりとした実在をみせるのである。また、この場面では写真が不在の人物の証拠を示すものとして機能する。アンヌの写真をみせるフランソワ、飛行士と一緒にいる女とをなんとかして写真に収めようとするリュシー。瞬間を切り取る写真がリアリズムの表現であるという前提のうえで、しかし、アンヌの静止画は実際よりも寂しく見えるとフランソワが言い、リュシーの試みも失敗に終わるのは、写真に収められた瞬間が捉えきれずにつねにずれてしまうということを示してもいる。語る、撮る、見る、聴く、解釈する——映画という虚構を成立させるいくつもの作業が、驚くべき自然さのうえで成り立つのがロメールの映画である。

 

[1] エリック・ロメール『美の味わい』、梅本洋一武田潔訳、勁草書房、1988年、127頁

[2] 『WAVE』35号(1992年11月)、ペヨトル工房、32頁

[3] 御園生涼子は、ロメールの処女長編『獅子座』で、浮浪者になった主人公が不意に転がり込んだ遺産によりブルジョワ社会へと救済されたことや、以後のシリーズ作でも「街頭からは彼がかつて映し出して見せた浮浪者の姿は締め出されている。そこには民衆の身体はない」ことを指摘している。『レネットとミラベル』では珍しく浮浪者の姿があるのだが、街頭にしゃがみ込んだ浮浪者に、レネットもミラベルも立ったままお金を与えるという上下関係が崩れるということはなく、ブルジョワ的道徳の映画という側面は否めない。御園生涼子「望遠鏡の視野 ロメールストローブ=ユイレのリアリズムをめぐって」『ユリイカ』2002年11月、青土社、179頁

[4] ここでは取り上げることができなかったが、二人の映画のパスカルへの参照、神学的な側面も比較項として挙げることができる。Cf.ジル・ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』、宇野邦一他訳、法政大学出版局、2006年、148頁。またドストエフスキーの『やさしい女』の映画化も、ブレッソンが行う前にロメールが構想していたというが、それは幻に終わった。『WAVE』、前掲書、193-199頁

[5] ジャン・ドゥーシェとの対話「エリック・ロメール、確かな証拠」『ユリイカ』、前掲書、132頁

[6] ロメール「映画作品と、話法の三つの面——間接/直接/超直接」『美の味わい』、前掲書、108-119頁

[7] 野崎歓「映画を信じた男——アンドレ・バザン論」『言語文化』32号(1995年)、一橋大学語学研究室、25-35頁。

[8]エリック・ロメール、確かな証拠」『ユリイカ』、前掲書、134頁

[9] 『WAVE』、前掲書、96頁

[10] ちなみにここでも二人は「自然に naturel!」と声を掛け合ってさも尾行していないかのようにみせるのである。

 

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図A

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図B

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図B

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図B

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図C

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図C

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図D

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図D

 

個を引き受けること——松浦理英子の小説における「対話性」

学部二年の夏に書いたものです。はじめてまともに書いたレポートかもしれない。

 

はじめに

松浦理英子は一九七八年に『葬儀の日』で文學界新人賞を受賞してデビューした作家である。松浦の作品においては、エッセイや対談、インタビューなどで語られる松浦自身の考えを、小説内の人物が代弁しているかのように読まれることも多く、「非−性器的恋愛」といった既成のジェンダー観への批判としての作品に注目する評が多い。本稿ではいくつかのキーワードに注目し[1]、『犬身』を中心にしながら松浦作品を論じたい。

 

境界と反転

 八束房恵は「犬になりたい」という願望を持つ女性だが、この「犬になりたい」という願望は、実は複数の要素を持っている。まずは「人間は面倒臭い」ということ。その理由としては、房恵は久喜以外に友達らしい友達を持っていないことと、その久喜との間でも関係は停滞しており、かといって離れて行こうとすると久喜は動揺するであろうことが予想できること、そんな人間の機微を推し量ることへの「面倒臭さ」が描写されている[2]。ところで松浦は、性器中心主義を一貫して批判している。ついでのようだがここに付け加えておくと、久喜の臍のゴマをとるシーンにおいて、臍の描写をすることは房恵の「匂い」に対する考え方を描写するとともに、女性器でも肛門でもない「穴」を描いているのではないだろうか。
 次に、好きであるあまりに対象と同一化したいということ。犬になるというのは一見突飛な発想にも思えるかもしれないが、人間同士ならば相手を好きなあまりに相手と同一化したいという願望は特に珍しくもなく、むしろ性行為というのはそうした感情の結果とも言える。しかし、愛する対象そのものになるということは、愛する主体がなくなるということでもある。実際、房恵が犬になった場面では、自分は自分に触れることができないということを悲しみ、できるだけ触れようと体を丸める[3]。そこで別の愛する主体を導入する必要がある。それが玉石梓なのだ。房恵の願望は「玉石梓の犬になりたい」ということになる[4]。こうした、愛する対象と主体の問題は、房恵と梓の会話において考察される。梓は房恵の犬への接し方を「犬と存在を混じり合わせようとしてる」ように思えると言い、それを受けて房恵は、自分の犬化願望は「つまるところ、犬と混じり合いたいということなのかもしれない、と今思いました」と言う。犬になることと犬と混じり合うということは微妙に異なっている。犬になることは個を保存したままに自己/他者を反転させることであり、混じり合うことは自己/他者の境界をなくすことである。種同一性障害というからには、房恵は犬と人間の魂が混在していることに違和を感じているのであるし、結局犬になることを選ぶ。そして梓はそのどちらの願望も持つことはなく「犬は自分とは別のものでなければ困る[5]」と言っている(物語終盤で、人間は面倒臭いという理由から「犬になりたい」と冗談めかせて言うシーンはある)。
 『葬儀の日』においても、泣き屋と笑い屋は混じり合うということはない。彼女たちは常に皮膚や川といった境界によって隔てられている。基本的に私=泣き屋の語りですすむ小説だが、「彼女」(=笑い屋)が「私」として夢について語り出す場面がある。笑い屋は、写真に私(=笑い屋)が写っているのを見たときに目に入った自分の体が、自分のものではないことに気がつき、鏡を見るとそこには自分ではないものが映る。写真には「私の物であるはずの私の顔」が写っているが、それが出てくると「あなた」の声で笑う[6]。写真と鏡に隔てられた彼女から私、そしてあなたへの反転が起こっているのである。

 

対話性

 すでにみたように、房恵は自分の気持ちについて、他者との会話において考えを深めていく。小学生の頃から「私は犬です」(ここでは「犬になりたい」ではない。自我の確立されていない子供の時点では同一化してしまっていたのだろうか)という作文に書いていたが、体は人間だけれど魂は半分くらい犬なのではないか、ということには久喜に言われて「腑に落ち[7]」る。『奇貨』でも、本田はどうやら男社会には馴染めないらしいと思案するが、それは〈受け〉なのだと七島に指摘されることで「胸のつかえがさっぱりと下り[8]」る。他者に指摘される=対話を行うことで、自らの内面に気がつくということである。また、対話というときに気をつけなければならないのは「内省」と区別されるべきだということである。つまり、対話は自分以外の個体としての他者がいてはじめて成り立つものである。一方で、松浦は「自分の中で一人二役していることと、あるいは現実の誰かにその役をふりあてて会話するのと、もしかしたらその本質は同じかもしれない。[…]「私と他者」という図式そのものがおかしいのではないか[9]」とも言っていて、対話は自己のみでも行われうるかもしれないが、その場合一人二役であるということ、つまり決して、一人きりでの内省ではないということだ。
 松浦作品においては会話部分が作中人物をよく表し、魅力的にしている。房恵は、梓との「お喋りはじゃれ合うことに似てる」として「自分で話していても話の内容以上に、梓に話しかけ耳を傾けてもらっていることが楽しい[10]」と感じている。朱尾との「深い意味のないことば遊びめいたやりとり[11]」には親近感を覚えているし、犬になってからは朱尾以外にことばをやりとりできる相手がいないため、朱尾に会うと「ことばをやりとりできて嬉しい[12]」と感じている。彬は「人間同士の会話でこれほど話が噛み合わない[13]」ことってあるんだろうか、とフサが思うくらいには会話ができない(つまらない)人物として描かれているし、梓の父親も「たぶん会話が苦手そう[14]」である。会話能力(内容に関わらないことばのやりとりをする能力)そのものが人間の魅力であると房恵は考えていて、それはおそらく松浦の考えであると言ってもいいだろう[15]
 犬に変身してからは、徐々に玉石家の醜悪な実態が明らかにされていく。フサは基本的には梓とともに行動しているので、梓が家族と交わす会話を「立ち聞き」することになる。物語は基本的には三人称をとるが、フサの視点から描写は成される。よって、フサの視点から見た世界を読者は見ることになるが、フサは「夢うつつの世界」で、再び朱尾に語り直して「論評」する。つまり、作中にすでに朱尾という読者の役割を果たすものが存在しているのである。また、梓のメールや彬の妻のブログなど、他にも(広義の)作中作の要素が組み込まれている。『犬身』以外の作品においても、松浦は作中作の構造を組み込むことが多い。『ナチュラル・ウーマン』の容子と花世は漫画を描くし、『裏バージョン』は前半部分がほとんど昌子による小説であるし、『奇貨』でも、本田が私小説家として明らかに読者に呼びかけているような描写があり、「奇貨」自体を本田の私小説としてみることも可能だろう。作中作をとるということは、作中に作者と読者が存在するため、松浦という作者と私たち読者を遠ざける効果をもつ。それによって、「どうせ自分が書いているんじゃないからいいや[16]」と松浦が小説を書きやすくなるということもあるだろうし、私たちは、これは松浦の考えではなく作中人物の考えなのだということに注意しなければならない(と松浦に釘を刺されている)。
 また、作中作を小説に組み込むことは、別の視点を織り込むということでもある。梓のメールは、フサには知り得ない梓の考えを梓自身のみが語りうるものであり、ブログはブログの書き手のみが語りうるものだ。対話とは内省と区別されるものであり、同時に代弁しないということでもある。しかし、ブログというインターネット空間に匿名で放たれた文章では、視点を乗っ取って代弁するということが可能になる。彬が書いたのかもしれないブログは、「出来事を梓の立場に立って倒錯的に反芻し、好き放題に書[17]」かれたものである。フサ=読者はそれが梓によって書かれたものではないことを知っているが、結局のところ、彬が書いたのか母親が書いたのかははっきりとは明かされない。書き手のわからない文章はグロテスクな危うさをもったものとして描写され、あくまで肉体をともなった発話が対話の条件となっている[18]。作中の会話としての具体的な対話と、作品の構造としての対話性[19]。この二つの対話性が、松浦の主題とされる「関係」を描くうえで重要な要素となっている。

 

 

 

[1] 「通りのいいキーワードを使って何か言ったつもりになる」(『おカルトお毒味定食』河出文庫、一九九七年、四六頁)ことを松浦は批判している。

[2] 『犬身』朝日文庫、二〇一〇年、上巻・三一頁

[3] 『犬身』上巻・一七一−一七二頁

[4] Cf.内藤千珠子「わたしは犬になり、あなたはわたしになる」『小説の恋愛感触』みすず書房、二〇一〇年、三九−四〇頁

[5] 『犬身』上巻・七〇−七一頁

[6] 『葬儀の日』河出文庫、一九九三年、四六−四七頁

[7] 『犬身』上巻・二七頁

[8] 『奇貨』新潮文庫、二〇一五年、三一頁

[9] 「作品をいじるより、作品にいじられるために」後藤繁雄『彼女たちは小説を書く』メタローグ、二〇〇一年、二一九頁

[10] 『犬身』上巻・七一頁

[11] 『犬身』上巻・八五頁

[12] 『犬身』上巻・二〇七頁

[13] 『犬身』上巻・二三九頁

[14] 『犬身』上巻・二七〇頁

[15] 「小説の中の会話は物語を進めたり滞らせる働きがあったり、あるいは、人物を表現する手段になったりもしますけれど、『奇貨』ではそういう働き以上に、会話そのものが描写する価値のあるものだと思って書いていました」(「それぞれの孤独に寄り添って」『新潮』新潮社、二〇一二年十月、二五二頁)

[16] 『彼女たちは小説を書く』二一三−二一五頁。

[17] 『犬身』下巻・一一二頁

[18] ここで、金井美恵子のテクストの「よるべのなさ」と対比することも可能だろう。他にも、金井が「吐き気」であるのに対して、松浦は「嘔吐」(『犬身』では「犬形ゲロ噴射銃」、『葬儀の日』終盤での老婆の嘔吐)であり、一文の長さも対照的であるなど、対比できる項がいくつかあると考えたが、うまくまとめることができなかった。

[19] Cf.『彼女たちは小説を書く』二一一頁