まとめを出す季節。
本
165冊ほど読了。60冊くらいはaudibleで聴いており、もうaudible(と酒)なしではなかなか寝付けない体になってきてしまっている。ベストを考えるとどうしても海外小説が多くなってきていて、twitterで昔から見ている読書家のみなさんが海外小説ばかり読んでいることが、実感としてわかりつつある。読書メーターだけでなく、readsも使い始めたことによって読みかけてやめたりした本について書くことができるようになったので、興味があればのぞいてください。私はSNSをやりすぎ。
ベン・ラーナー『トピーカ・スクール』:現代に小説を書くということはどういうことなのかをとことん考えている作家だなと思う。既存小説への批判精神はありつつ、悲観的になりすぎずに物語としての面白さも担保しているところがすごい。
彼が詩人になりたかったのは、詩が呪文だったからだ。構築された音が意味を解体しては作り直し、暴力をもたらしたり食い止めたりし、人を有名に、詩に抹消されたことで有名にし、身体に別の効果をもたらしうるからだった——人を眠らせ、目覚めさせ、涙や別の潤滑液を分泌させ、身体の一部を膨らませ、産毛を逆立たせる。トピーカのえせギャングたちはいつもほかのえせギャングたちを脅し、引用した言葉のことで告発し、殺すぞと脅した。ほとんどだれもが——幼稚園児も、おとなこどもも、家族セラピストも、分析医も、生物心理学者も、ディベートのコーチも——言語に魔術的な力があると思っていた。リラックスして、と筋肉に頼んでみるんだよ。仮に詩人になりたくなかったとしても、彼はすでに、常に詩人だった——少なくとも、〈ブライト・サークル〉で雑草を両手で擦り合わせたときからは。人は自分が詩人であることに気づかない。
トリスタン・ガルシア『7』:ついさっき読み終わったところだが、ベストに滑り込み。こういう幻想的SF的設定のある小話の連なりは大好物なのであった。メイヤスーなどに学んだ哲学者らしいけれども、案外外連味もなくわりと王道のエンタメの感じで楽しく読んだ。
リチャード・フラナガン『第七問』:フラナガンは数年前に『奥のほそ道』を読んで、恐ろしい作家だと思い敬遠していたが、これもコンパクトながら迫力のあるよい本だった。(追記:ブローティガン→フラナガンに訂正しました。お恥ずかしい…… ご指摘くださった方、ありがとうございます)
わたしたちは暴風雨が吹き荒れる世界の内側で生き、それを受け入れたが、ときに驚愕し、たまに嫌気が差し、果てしなく続くことが時折り不思議で仕方なかった。わたしはどの年に最も雨量が多かったか、あるいは一九六四年や一九六五年の雨量が多かったとするのは正しいか記録をあたることもできるが、わたしが記述しているのは記憶であって事実ではなく、そしてわたしたちは事実によって自分自身を知るのではなく、記憶——その詐術、その回避、その沈黙、そのでっち上げ、その避けられない疑問——によってわたしたちになり、あの狭い居間でゆっくりと円を描いて動き、そのあいだ雨は絶え間なく降りつづき、下地のないトタン屋根を叩きつけ、窓をかすめ、テレビはまた意味をなさず、父は別のダンスと昔の記憶に身をまかせ、私たちはともに父の過去をゆっくりと円を描いてめぐる。
パヴェーゼ『流刑』:パヴェーゼの厳しい切り詰め方が好きだ。全部読みたい作家なので来年全集を読めたら嬉しい(今年はナボコフを全部読むと意気込んで、買いはしたが全然読み込めなかったのだが…… 宣言したり意気込んだりしたことって、だいたいできない……)。ユルスナールの『とどめの一撃』も今年読み返して、全ての文がかっこいい…と思った。
リン・マー『断絶』:
2025-05-01(都市で暮らすとは、その街から提供されるものを消費することだ) - よくわからない比喩
ポール・オースター『4 3 2 1』:3月に読み終わったが、ひさしぶりに純粋に物語を愉しむことができた本だった。さすがのストーリーテリングで、同じ男の微妙に異なる人生を描くことは誰もが思いつきそうだが、やってしまえるのはオースターくらいなんじゃないか 。60年代アメリカの青春と文学… とくべつオースターのファンだったわけではないが、このような小説を書きおおせてしまえること、そして柴田元幸という訳者に恵まれて日本語で読めることに素直に感激してしまった。1月にkindle端末を導入したことで、分厚い本も物理的な疲労を感じることなくさくさく読めて本当によかった。利便性はばっちりなので、あとは物理本と同じ値段なら物理本で置いておきたいという気持ちとどう折り合いをけるかという問題になる。
クラリッセ・リスペクトル『ソフィアの災難』:
2025-02-23(体内化/ベゴニアの破裂する) - よくわからない比喩
萩野なつみ『遠葬』:今年なんどか手に取り読みかえした。読んでは海が見たいと思い、結局今年は一度も海を見なかったかもしれない。この本について書かれた、今は閉鎖されてしまったブログ記事を保存しておかなかったことをものすごく後悔している。
森博嗣『すべてがFになる』:S&Mシリーズはすべてaudibleで聴き、ついでに四季シリーズも一気読みするなど、まるで中学生の夏休みのような読書体験ができて嬉しかった。やっぱりすべてがFになるのスケールと完成度がすごい。
茅野大樹『ベンヤミンとモナドロジー』:1月に読んだのでもう正直かなり忘れてしまったが、ベンヤミンにうっとりしすぎていないところがよかったと思う。
松本卓也『斜め論』:最近よく出るオープンダイアローグとケア関連の本を読んでいつも思うのは、大学のグループワークでさえ全然できなかったのに、精神状態の悪い時にオープンダイアローグなんて到底できないさ、ということである。だから水平でも垂直でもなく斜めなのだということはまあ納得。内海健もいくつか最近読んだけど、根本的な自分の問題意識って卒論で書いたことからもう変わらないかもしれない。もう少しいろんなものを読んだら変わるだろうか。
福嶋亮大『世界文学のアーキテクチャ』:日本にいま批評家がいないということがたびたび嘆かれているけれども、福嶋亮大は、私の限られた読書範囲のなかではかなりよい批評家ではないかと思う。問題整理が上手。町屋良平の小説の死後も一応せっせと図書館で印刷してきて読みはしたのだが、本当に、流通と商品の問題と、小説のクオリティには関係がなく、人間関係にも興味がないです、という気持ちになってしまった。
映画
見ていなさすぎるため、なし。
オリヴェイラの『アブラハム渓谷』をスクリーンで見られてよかった。
音楽
なによりthe cabsの復活があり、嬉しい。
行ったライブは以下の通りで、だいたいこれらを聴いて、あいまにapple musicのおすすめから違うのを聴いてみるくらい。audibleで耳が急がしいので音楽の機会が減ってしまった。
4/12 SYNCHRONICITY
6/25 People In The Box @O-EAST
7/10 downy@SHIBUYA CLUB QUATTRO
7/17 khakiとTHE NOVEMBERS @SHIBUYA CLUB QUATTRO
8/20 青葉市子@すみだトリフォニーホール
9/15 ひとひらとPeople In The Box@新代田FEVER
10/9 Plastic Tree トロイメライ@松戸森のホール
10/10 青葉市子@札幌kitara小ホール
11/5 the cabs@豊洲PIT
11/20 THE NOVEMBERS@渋谷公会堂
12/28 Plastic Tree 年末公演@渋谷公会堂
買ったもの
BABYのミルフィーユJSK:思い切って2色買いしたけど後悔はなし。あとはミラベル黒が手に入れば、BABYはもう満足かもしれない。ロリィタちょっと飽きつつあるけれども、他に着たい服がないので来年も着ると思う。
椅子:fuzkue初台店で座ってよかった、13.5万くらいする椅子。ゆったりできて本の読みやすい一人がけのソファはこの世にあまりないということがここ数年でわかっていたので、もうこれだ!と思い定めて買った。結果的にはよかったと思う。
そのほか
台湾で食べた豆花が美味しかった。日本でもコンビニスイーツくらいの手軽さで買えないだろうか。
この一年で同級生の結婚式3件に呼ばれた。みんな人生のコマをすすめていてえらい。高校の友達、大事にしたい。
2020年くらいにはすごく気持ちが閉じていたのが、会社にも慣れ、わずかな社交性を身に付けたことを実感している。来年は気さくと形容されるくらい明るくなれたら嬉しい。
ブログは月に1つ計12書くことを目標としていたが、一応達成できてよかった。来年も同じくらい書けるといい。