2022-0322〜0401

3/22 火

 電話越しに怒られる夢。郵便局まで歩くと雪が降ってくる。ついでに本屋で塚本邦雄『十二神政変』、コーマック・マッカーシーザ・ロード』買う。寒いのでそそくさと帰ってパジャマに戻る。急に停電の警告がある。ベッドで江國香織の最新作の『ひとりでカラカサさしてゆく』を読み終える。最も好きな作品を更新することはないだろうけど、読めば必ず良いと思える作家だ。そのままライカート『オールド・ジョイ』見はじめたらいつのまにか眠っていた。ごはんの後ふたたびみる。山の中の温泉気持ちよさそう。ルーシーお利口。葛葉のエルデンリングの配信が始まったのでそっちみつつ、『葵ちゃんはやらせてくれない』をみてたが、半分ほどでやめた。あとはいろんな動画みて寝た。

 

3/23 水

 YouTubeみてバイトしたら一日が終わった。こういう無力な日が三月は続いた。

 

3/24 木

 バイト最後の日。三年半続いたしそれなりにやりがいを感じていた仕事だった。生徒としてその後先生として二年ほど付き合いのあった人に最後に会えてよかった。

 

3/25 金

 卒業式だった。快晴。始発で着付けとかの人もいるなか午後からの着付けで助かった。赤の松竹梅の古典柄、ちりめん布の着物に緑のグラデーションの袴。袴を着る機会ももう一生に無いだろうからコスプレとしてよい経験だった。しかし大学には図書館しか居場所がなかったということが最後まではっきり感じられ、かなり惨めな気分でいる。椿山荘で母とさして美味しくもない食事をとって、袴のまま帰宅。 

 

26〜29

あまり記憶がないが、家でごろごろしたり必要品揃えたりしてたら過ぎた。

 

3/31(木)

 二日間図書館に通い『鋼の錬金術師』と『聲の形』を読んだ。鋼の錬金術師はよくできた作品でかなり完成度が高く、よかった。wikiみたら作者の荒川弘は女性で、子供産んだときも全く休載せず描ききったらしい。非人間? Tと二日連続で会えてご飯食べたり歩いたりして嬉しい。今日を永遠にループしたかった。

 

4/1(金)

 雨風強く、緊張と興奮もあって寝た気がしなかった。朝の電車に乗るが、じめっとしていて気持ち悪くなる。さいきんずっと聴いている委員長の雑談アーカイブを聞いて気を紛らわせる。入社式。途中で生理が来たのがわかる。どうやら運良くホワイト企業に入れたっぽい。同期の人たちも話しやすい人多く、わりと不安は取り除かれる。

 

藤枝静男「空気頭」について

 

はじめに

 

 日本の近現代小説を一考するうえで、「私小説」の系譜を無視することはできない。私小説とは、「書くこと」と「私」という小説における根源的な要素それ自体を題材とし、小説という形式にする試みのことである。仮にその源流を田山花袋の『蒲団』(1907年)とすると、私小説の歴史は約百年のことであり、数多の小説を私小説の流れのなかに位置づけることができる。本稿では、「私はこれから私の〈私小説〉を書いてみたいと思う」という驚くべき宣言からはじまる、藤枝静男の「空気頭」という小説について論じる。藤枝静男は、志賀直哉を公式の師匠と仰ぎ、また笙野頼子から師匠と仰がれている人物である。1908年に生まれ、戦中は医師として働き、戦後(1947年、39歳)から執筆活動を始めた。私小説の歴史の特異点ともいえるこの小説は、いかなる時代的背景から生み出され、いかなる「私」を描いているのだろうか。

 

 

特権的な私

 

 戦後の日本における「私」はどのように問題化されていたのか。藤枝は「志賀直哉天皇中野重治[1](1975年7月)という文章のなかで、志賀直哉中野重治の書簡や小説を書き並べ、小説内の「私」という位置の特権、ひいては最も特権的な「私」たる天皇をめぐって決裂してしまった両者の争点を第三者的に観察してゆく。出来事としては、1946年、中野の「安倍さんの『さん』」という文章を読んで激怒した志賀が、「新日本文学会」を脱退してしまったことである。藤枝は当時の書簡を並べ、そのいきさつを丁寧に説明するとともに、彼らのやりとりの内容が天皇制と天皇個人、あるいは小説と小説内の「私」に関する問題であったことを明らかにする。志賀は「今度の戦争で天子様に責任があるとは思はれない。然し天皇制には責任があると思ふ」と書き、天皇天皇制を分離したうえで個人としての天皇を責めることはできないとしている。それに対して中野は、「国民は飢えていて天皇とその一家とは食いふとっている」という、依然裕福で食うに困らない地位にある天皇に対して嫌悪を顕にしている。また中野は、志賀の『暗夜行路』の語り手である謙作が、特権階級的な意識をにじませていることを批判する。そのような小説に対するある種の社会的な批判は、志賀には「芸術に成心を持ちこむ」とうつり、それゆえ「小説を中野君のやうな態度でしか見なければゐられぬという事は不幸」と切り捨ててしまう。

 中野の『五勺の酒』(1947年)には、「問題は天皇制と天皇個人との問題だ。天皇制廃止と民族道徳樹立との関係だ。あるいは天皇その人の人間的救済の問題だ」[2]という一節が示すように、「天皇天皇制からの解放」を訴える「僕」の語りがある。これを藤枝は、この小説の発表前年に志賀からなされた指摘を、中野は自己批判的に受け取って書いたのではないかとしているのである。たしかに「僕」の主張は志賀と同じものだが、その真偽のほどはわからない。ここで藤枝は、志賀の特権的な自我と中野の国家対抗的自我という対立構造を解きほぐしてなんとか両者の一致の点を見つけようとしながら、自らはそのどちらにも同意することができ、どちらでもないような書き方をしている[3]

 ところで藤枝自身は天皇についてどう書いているのか。「志賀直哉天皇中野重治」を書いたのと同年の1975年11月の時評では、このように書いている。

 

天皇の生まれてはじめての記者会見というテレビ番組を見て実に形容しようもない天皇個人への怒りを感じた。哀れ、ミジメという平生の感情より先に来た。いかに『作られた』からと言って、あれで人間であるとは言えぬ。天皇制の「被害者」とだけ言ってすまされてはたまらないと思った。〔…〕三十代の人は何とも思わなかったかも知れぬ。私は正月がくると六十八歳になる。誰か、あの状態を悲劇にも喜劇にもせず糞リアリズムで表現してくれる人はないか。冥途の土産に読んで行きたい。[4]

 

 中野は天皇を哀れで滑稽な人間として描写した[5]。藤枝はさらに天皇を「人間であるとは言えぬ」とまでいい、悲劇にも喜劇にもならない「糞リアリズム」の描写を望んでいる。この「糞リアリズム」という表現を、藤枝は『空気頭』の描写について説明する際にも用いている。大きな手術が終わって「おなかが空いたあ」と「たてつづけに喋舌っている」妻に対して、「私」が「妻を哀れに思い、愛を感じた。半分死人となった妻に、はじめて心からの愛情を持った」と思う場面(50-51)である。川西政明にこの場面について指摘されると、藤枝は「それは、だって、事実だから。妻のそういう言葉で、僕は非常に衝撃を受けたんだよ。それは本当のリアリズムなんだ。糞リアリズムといってもよい」[6]という。藤枝は小説で直接的に天皇について書いたわけではない[7]。しかし、私という存在に「糞リアリズム」的に迫った結果、人間であるはずの私が人間でなくなっていくという解体が起こることは間違いない。『田紳有楽』(1976年)がその最も極端な例で、「私は池の底に住む一個の志野筒形グイ呑みである」とまでになるのだ。『空気頭』の語り手は一応人間の私を保っているものの、その構成によっても、「空気」による治療法によっても崩壊の兆しはみえている。以下、「空気頭」の私がいかなる語りをしているのかみていきたい。

 

 

分岐する私

 

 「空気頭」という題の小説は二つ存在する。1952年に『近代文学』に書かれたもの(以下「初稿」と呼ぶ)と、1967年に『群像』に書かれたものである[8]。一般に流通している講談社文芸文庫に収められているのは、後年の完成稿の方だ。完成稿は、①私小説を書くと宣言し、妻の結核の治療と向きあう私の語り(1966年の視点)[9]、②上半盲の症状がある私の語り、③1967年の私の日記、の○で区切られた三つの部分からなる。初稿は、「東京医科大学中退の精神薄弱性インポテント患者A君」が、自らの上半盲の症状とその治療法(空気を頭に送り込むこと)を、「神経科専攻の君」に対して説明するという形式をとっており、内容的には完成稿の②の部分にあたる。ただし、同一の名を与えられた初稿と完成稿には決定的な違いがあり、その違いが「空気頭」を特異な「私小説」へとならしめたと考えられる。

 まずはその構成の違いである。付け加えられた①の部分は、長く続く妻の結核治療の様子が私から語られる。藤枝の妻が肋骨と左肺の切除手術をしたのが1962年ごろであり、初稿から完成稿のあいだに実際の出来事としてあったことだとわかる。そのためこの部分は、冒頭で瀧井孝作が言ったという私小説のあり方、「自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく写して行って、それを手掛かりとして、自分にもよく解らなかった自己を他と識別するというやり方で、つまり本来から云えば完全な独言で、他人の同感を期待せぬもの」(38)だということもできる。しかしそのように示されている私小説のあり方、「一分一厘も歪めることなく写す」ことがそもそも可能かどうか、それをしたところで「リアリズム」になるのか、「空気頭」の全体の構成が疑っていることは間違いないだろう。

 藤枝作品の「私」(章と名を与えられることもある)には、家族に対しての強いこだわりがある。長年にわたる繰り返しの治療で弱っている妻や、幼い娘が抜歯で泣いているのをみて、私は「肉親の見苦しい姿は、そのまま理屈抜きに私自身の醜さとして映る」(43)のだと憎悪をあらわにする。このような妻とその裏返しとしての自分への嫌悪は①の部分で通底する感情となる。しかし私は決して妻の治療を諦めようとはせず、「冷静に歩を進めて行けばよい」(59)と気丈な様子をみせている。この治療に対しての姿勢は、②の部分の末尾で、「いったん道をみつければ、あとは努力次第です。だから私は努力してこの装置に改良を加え、結局は空気で私の全脳髄を充満させ、完全な空気男になってフワフワと昇天してみせる決心でおります」(124)という姿勢と共通する「私」のものだということもできるだろう。ただし、①の引用した前文のあとには、不穏な両側の行空きで「今日は妻の死んだときのことを楽しく空想した」(59)という一文が挟まれる。その文から後は、過去の回想が多く挟まれ、「空想」や「想像」の言葉も多く登場し、虚実や時制が曖昧なまま②の部分へと続く。このなかで印象的な回想場面として、私と妻が私の故郷に帰って墓掃除をした際に、私の父の眠る墓をみた妻が、「わたしはこのお墓に入るのは嫌です」と思いつめたように言ったことがある。それを聞くと、「反射的に、(裏切られた)というような、異様な不快感が私を襲った。——あれが俺だ」(68)と、私は「俺」という男性中心の家系に連なっている自らの存在を感じとる。父から引き継ぐ家系とそれに抵抗する妻は、蓮實重彦の分析の通り、巨木の枝の分岐に擬えることができる[10]。私は「ふた股に分かれ」た松の巨木を見ているうちに①から②へと移行するのであり、私自身がその分岐の地点に立たされているのだとわかる。②からは口調がですます調になり、結核の妻がいるのは共通しているものの、はっきりと同一の「私」だとは同定できないような移り変わりがある[11]。この分岐された私こそが「私の私小説」なのだ。

 

 

抑圧/解放される私

 

 さて、二つ目の決定的な違いは、上半盲の原因にある。初稿においては、「己」は「昭和二十年の八月二十三日の暁方、ビルマの山の中で、頭の鉢の後ろの方を、横からパンと射ち抜かれ」る経験をした。その「鉄砲玉と一緒に、Apaticoccus carnosusとLogococcus robustustが射込まれ」、「あの黴菌共が、意識を失って抵抗力のまるでなくなった己の脳味噌を、勝手に貪食して分裂を繰返し、それで己はとうとう己の視野の上半分を彼奴等に喰われて了った」(14-15)のだという。つまり直接的な戦争体験がその病の原因となっている。それに対して完成稿の方は、症状を自覚したのは「戦争末期のころ」であり、「ヴィールス類似の起炎菌」によって神経が圧迫されているという部分は同じなのだが、そのヴィールスは「遺伝的に、血液を通して私の体内に伝えられ」たのだとする(76)。そして遺伝しているのは「淫蕩の血」であり、「性慾の昂進と精神の不安と重圧」が上半盲の症状として表れ出ているのだと、私は解釈している。私は医者の身分であるから戦争中は「海軍火薬廠のあたりでのうのうと暮らし」(75)、直接的な肉体の損傷を受けたわけではない。このことは①の部分でも強調されていて、「私自身は戦争なんかで肉体的にも精神的にも何の傷も受けはしなかった」(藤枝により近い「私」はもちろん完成稿の方であり、そこには戦争に対しての距離感の違いがうかがえる。敗戦後まもなくの日々では、「何もかもが突然断ち切られてしかも自分の身辺には何も始まらなかった、あのポカンとした空白、物理的空白」があり、それが「上半盲の発現と性衝動を同時に抑制した原動力となっていた」(84)。このような「空白」を、藤枝は「詔勅と占領との間」[12](1974年)という随筆でも書いている。「戦争は終わったが敵兵の姿は見えないという、形式的には全く平和な、しかし精神的には不安に満ち満ちた一瞬の時期であった。あの空白期に遭遇した人々の肉体と精神を如実に描いてくれた人が一人もいない。誰か書いてくれぬか」と。誰かに書いてほしいというのは藤枝独特の謙遜の言い回しなのかもしれないが、「空気頭」の「空気」とは、このような戦後の日本の人々がそれぞれ体験した個人的な肉体感覚としてあるといえる。

 私は戦後、一度は上半盲と性慾を増進させる方へと向かい、人糞をつかった薬の開発に励むのだが、「時がたつにつれて」「だんだんと」自分の病気に対する認識の誤りを悟る(115)。「打ち勝ちがたい敵」である性慾から「自然の恩寵によって解放された現在」では、人工的に脳内に空気を送り込むことによって「私に遺伝し私につきまとって来たあのヴィールスの増殖」は「抑圧」され、「過去の私自身から物理的に脱却」することができるようになった(123)。しかし、果たして私はその病と治療から完全に解放されたのだろうか。「私を苦しめる重圧そのものであり、また私自身の姿でもあるよう」な飛翔することのない「蛾」の幻影は、一度私を解放したかに思える(123)。しかし文章の順序では前にあっても、時系列的には「解放」の後にある②の冒頭では、「自分の頭のなかが、電車の振動につれてガサガサという、蛾の羽撃くような乾いた音」(70)をたてているという描写があり、私は蛾=自らの重圧から逃れられていないことがわかる。さらに、③の1967年の日記では私がベトナム戦争の映画を見たと書かれている(127-128)。初稿から完成稿のあいだには新たな戦争があり、「私」は戦争からもまた解放されていない。そして映画のなかで、ベトナム兵に殴られたベトコンに対して「かばうように付き添って歩」いたにもかかわらず水に沈めて平然と殺した青年を見ると、自らもまたこのような「平気で弱いものに冷酷になれる人、味方に似たふるまいを見せていて裏切る人」のうちの一人だと思うのだ。私は、画面の中の戦争を自分のものとして感じながら、しかしその後には「風呂に五分間はいって、またベッドに戻」るというような「平生の生活」を送っている。1967年の私は、「気質に対する常に不愉快な人工的な抑圧」にすぎないはずの人格を誉められたこと、「人格者」と云われたことが癪にさわり、この自らに課した「人工的な抑圧」に無意識に従ってしまうことを恐れている(126)。抑圧と解放の間で葛藤する私は、志賀と中野のあいだで揺れていた藤枝とともに、戦後の空気を重たく頭に残した人間のひとつのあり方として描かれているのだ。

 

[1] 藤枝静男志賀直哉天皇中野重治』、講談社文芸文庫、2011年、141-196頁

[2] 中野重治「五勺の酒」『中野重治全集3』、筑摩書房、1996年、13頁

[3] Cf.笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』、講談社、2020年、187頁

[4]藤枝静男著作集 第四巻』、講談社、1977年、378頁。この箇所は、文庫解説で朝吹真理子が引用しているのに加え、「私が藤枝静男の熱心な良き読者であるわけがない」という金井美恵子が『カストロの尻』(新潮社、2017年)でも丸々引用している部分である。

[5] 「五勺の酒」のこのような人間としての天皇の描写に革新性をみているのが渡部直己『不敬文学論序説』(ちくま学芸文庫、2006年、140-153頁)である。

[6] 藤枝静男川西政明「〈極北〉の私小説」『文学界』1985年5月、65頁

[7] ただ、「土中の庭」(1970年)の冒頭は、昭憲皇太后が作ったとされる短歌を誤解した少年の私=章が、「皇太后陛下が、どこかで熱心に睾丸を磨いている光景」を想像する場面である。深沢七郎の『風流夢譚』と似たユーモアではないだろうか。

[8] それぞれ『藤枝静男著作集 第六巻』(講談社、1977年)を参照し、頁数は本文中の丸括弧内に示す。

[9] 講談社文芸文庫版にはないが、『著作集』では妻のことが語られる前(40頁)にも○がある。ここではまとめて①とするが、この断裂を重要と考えることもできる。

[10] 蓮實重彦藤枝静男論 分岐と彷徨」『「私小説」を読む』、中央公論社、1979年、58-172頁

[11] 佐藤淳二は①から②への移行を「映画的なモンタージュ」になぞらえている。Cf. 佐藤淳二「〈差異〉の身体=機械学」(『機械=身体のポリティーク』、中山昭彦・吉田司雄編、青弓社、2006年所収)。本稿は佐藤の論考から学んだところも多いが、題名からしてわかるようにポストモダン的語彙が多分に用いられているためそれを取り除いた次第である。

[12] 『著作集 第四巻』、前掲書、432頁

2022-02-14

 

 

しかしあたりまえながら日記者は日記を書いているとき最も上きげんで最も健康なのだ。日記を書く時間をぬすめたかぎり、日記者の生存は安泰であり、ごく平坦な日常にまぎれていようと制作に没入していようと、あるいは喜怒哀楽の高揚にあろうと、ふりかかる難題をしゃにむに取りさばいている充実にあろうと、日記を書かないでいるなら日記者はあやうい。
よぶんな存立といぶかられもしようが、生きものとしての存在と制作者としての存在という、しばしば対立し亡ぼし合おうとする2者にくわわる、いわば3つ目の位格として日記者はあり、双ほうの熱量をぬすむようで補給し、補給するようでやはりぬすみ、だがどちらかの半死のきわにはどちらの代替ともなって衰減をくいとめ、それでいて2者を調和させるのではなく、相剋がけして解消しないようにそれぞれをそれぞれに保たせるのである。

 

黒田夏子『累成体明寂』

 

 

 

以前は無限に感じられていた読みたい本、見たいコンテンツがさいきんでは有限に感じられるようになってきており、こういうときひとは制作者になるのかもしれないと思った。じっさい論文はそういうモチベーションで書かれた。

 

いつのまにか大学生活が終わっていた。コロナが流行ってからの記憶があまりなく、なんの成果もないような気がしてくるが、一応以下のようなタイトルの文章を書いてきて、十八歳のころに比べれば多少成長とよべるようなものがなにかしらあったのかもしれない。それにしてもこの文章のテーマの散逸がそのまま学部のディシプリンの無さを表しており、良くも悪くもなにか一つのことを探求するということがなかった。いまも何か書きたいという気持ちではあるが、何を書くべきか定まっていないと書けないので、書けない。

 

 

ジュディス・バトラーにおけるジェンダー・メランコリーの系譜学

ジュディス・バトラーにおける「エイジェンシー」の可能性

・家族規範をゆるめる(『アンティゴネーの主張』と『最愛の子ども』)

松浦理英子の小説における対話性

・両性具有について(ヴァージニア・ウルフ金井美恵子松浦理英子

・ウルフ『オーランドー』について

星座から万華鏡へ ベンヤミンのアレゴリー論

ドゥルーズの「超越論的経験論」とは何か

ドゥルーズと音楽

・声と窓 デュラス『モデラート・カンタービレ』について

エリック・ロメールの映画技法

・無限の凝縮としてのボルヘスアレフ

岡上淑子のフォト・コラージュ

フッサールにおけるデカルトの批判的継承

・アルベルチーヌは語る(レヴィナスプルースト

イメージの構築と破壊   山尾悠子「夢の棲む街」について

・文学の戦争機械   モニク・ウィティッグ『女ゲリラたち』について

藤枝静男『空気頭』について

・日本におけるキリスト教讃美歌の受容

・知への意志としての哲学

・近代フランス語詩の歴史

D・W・グリフィス『田舎医者』の分析

・学校と性教育の困難

メルロ=ポンティ「幼児の対人関係」における他者理解=自己認識の問題

エリック・ロメールの映画技法

学部三年の冬に書いたものです。一つの作家の映画を三つ以上見てそれらについて論じる、という課題でした。ちょっとレトリックを覚えたのかもしれない。

 

 

「私が長らく不満だったのは、映画であれば画面にラジオもステレオも音楽家も見えないにもかかわらず、然るべき時に妙なる音楽が流れ登場人物たちはいとも簡単に甘美な気分に入り込めるのに、現実生活においてはそういう風にうまく音楽が流れはしないことなの。」       ——松浦理英子『セバスチャン』

 

 

 

 現実と映画はいったい何が違うのか。アンドレ・バザンが提起したリアリズムの問題を「コペルニクス的な革命[1]」と呼んだエリック・ロメールの映画には、大きく分けて二種類ある。ロメール自身が脚本を書き、現代の日常的な男女の恋愛模様を描く「六つの教訓物語」「喜劇と格言」「四季物語」のようなシリーズ作と、文学作品を題材にし、セットやCGを用いて中世やフランス革命時を描く『聖杯伝説』『O侯爵夫人』『グレースと公爵』などである。よく知られているのは前者の作品群であり、後者は例外的なものとみなされることも多いが、映画という現実を追求するというスタンスは一貫している。

 

身振りと自然さ

 カメラの前でロメールの書いた台詞をそのまま語って演じてみせる役者たちを、自然だ、と形容してしまうのは、高機能のカメラがついた機械を日常的に携帯する私たちがカメラのレンズを向けられることにあまりにも慣れてしまっているからではない。たしかに、派手な殺人も起こらなければ超常現象も起こらず、ただ(中産階級と思われる)人々が街や家で会話する様子を映すことの多いロメールの映画は、生活のなかで見聞きする時間や風景がそのまま映っているように思える。そもそも、日常におけるすべての動作が「自然」かどうかはわからない。たとえば『美しき結婚』のサビーヌは、結婚することに意気込むあまりエドモンの前で自然に話せなくて落ち込むように、恋する相手の前では自然にできないかもしれないし、わざと自然を装うこともあるだろう。人物の語る言葉も、場所もあらかじめ監督によって決められ作り込まれているにもかかわらず、作為ではなく自然にみえるとすれば、それは俳優の身振りによるものだ。監督はクランク・インの半年から一年ほど前から、俳優たちの個性を理解するために話し合い、カメラの前でのリハーサルをおこなうという[2]。それによって俳優の自然さを引き出すのである。その自然さとは、カメラの前にいるということを感じさせないということである。
 『レネットとミラベル/四つの冒険』の三話目「物乞い、窃盗常習犯、女詐欺師」では、街中にいる物乞い[3]にお金を渡すレネットと、その時は渡さなかったミラベルとの会話が歩きながら繰り広げられる。手持ちの16ミリカメラは二人を、最初は正面から、やがてミラベルの横から、そして後ろから、人通りの多い街の制約された動きで収める(図A)。その間も車や街のざわめきで声を消されそうになったり、陽光に目を細めたりしながら、言い合いに熱が入って思わず立ち止まり、特にレネットは手を大きく使って話し合う。そのような身体の動きが自然さを装うのだ。
 その後の、ミラベルがスーパーマーケットで万引きする女を目撃する場面は、ミラベルの視線と万引きの女、それを怪しむスーパーの管理員二人の空間的な配置が見事なシークエンスである(図B)。これら二つともお金や犯罪にまつわるブレッソン的テーマともいえるシーンであり、ロメールブレッソンの俳優の用い方(素人を使ったり、リハーサルをくり返して「自然な」あるいは「機械的な」動作を引き出すような手法)は、しばしば比較される[4]。しかしここでロメールは、万引きの女がサーモンを鞄(万引きにしてはかなり目立つ青色の衣服と鞄である)に入れる時の、手元のみのショット以外は、全身、あるいは腰あたりまでを収める。「手のしぐさは、私にとって、顔の表情と同じくらい大切なものです[5]」と語るロメールは、しかし身体を断片化して切り取らずに、顔と手の両方を収め、あくまでその個人全身の表現を尊重するという手法を取る。また、万引きした物の内わけはサーモン、鴨のコンフィ、シャンパン、レモンというなんとも奇妙な取り合わせだが、このようなディティールも映ってしまうということが、映画の現実性である。ロメールは「超直接 hyperdirect」という言葉を使ってこのことを説明している[6]。「女は万引きをした」という一文で表されることに、どういう表情で周りを窺っていたのか、何を盗ったのか、何を着ていたのか、その場所にはどれくらい人がいて、どんな音楽が流れていたか、というような細部が否応なしに付随する。そうした過度な直接さが映画の自然さを支えている。

 

 

リアリズムと虚構

 バザンの有名な『市民ケーン』論では、一般にパンフォーカスと呼ばれる、画面の深い(つまり平面上では上下に事物が配置される)ショットによって、手前と奥とで多層的な動きを作り出すことがリアリズムをめざす立場であると論じられる。並行モンタージュのような現実では知覚しえないものを映す操作が介入しない、という点でそれは現実に近しいものなのだ[7]
 ロメールの映画は、バザンのリアリズムの実践であると言われることがあるが、そのわりにロメールは、どちらかといえば、手前の事物や人物のみにフォーカスして、陰影のないのっぺりとした画面を作ることの方が多い。『聖杯伝説』ではそれがセットであることをありありと晒す、単色の背景が用いられているし、石造のパリの街並みでも、緑のある郊外の公園でも、青みがかった靄のたちこめる海岸でも目を惹く赤色の衣装は、背景から人物を浮かせる。ロメールは「平野の映画」と「山の映画」という表現で自身の映画を種別している[8]。『クレールの膝』は、「山の映画」に分類され、切り返しショットを用いずに、同一ショット内の平面の上下で人物がやりとりすることが多いと自身は語っている。もちろんそういう場面(図C)もあるが、実際は切り返しショット(図D)もよく用いられていて、たしかに「山」ではあるのだが、セザンヌの絵画のような奥行きのない山である。
 しかし珍しく奥行きをうまく利用した場面が、『飛行士の妻』にはある。アンヌの(元)恋人である男(=飛行士)がアンヌとは別の女といるところを「機械的に」尾行してきてしまったフランソワが、リュシーと出会い、公園でさりげなく見張る場面である。手前に腰掛けるフランソワとリュシーの間に、池を挟んで向こう側にいる飛行士とその恋人(とフランソワにはみえる人)がぼんやりと映っている(図E)。鳥のさえずりや公園にいる人たちの声なども聞こえるが、マイクは草陰に囲われるところにあり、同時録音であってもノイズが入りすぎないようにコントロールされている[9]。この映画は、題名が映画内では結局誰かわからない「飛行士の妻」であることからして、人物の不在とフランソワの夢、あるいは虚構とが主題になっている。二人の会話[10]で面白いのは、フランソワにリュシーが、「映画の主人公の気分で純真な恋人を疑っているだけよ」と言うことだ。映画の中の人が「映画みたい」と表現することは、映画内の時間がひとつの現実であり、同時に私たちが虚構を見ているのだということを示す効果がある。また、ここではフランソワの語る話と、それを「作り話」だと思うリュシーとが異なる虚構の次元にあることを表している。フランソワの「作り話」の中の人物が奥にいることで、虚構の人物がぼんやりとした実在をみせるのである。また、この場面では写真が不在の人物の証拠を示すものとして機能する。アンヌの写真をみせるフランソワ、飛行士と一緒にいる女とをなんとかして写真に収めようとするリュシー。瞬間を切り取る写真がリアリズムの表現であるという前提のうえで、しかし、アンヌの静止画は実際よりも寂しく見えるとフランソワが言い、リュシーの試みも失敗に終わるのは、写真に収められた瞬間が捉えきれずにつねにずれてしまうということを示してもいる。語る、撮る、見る、聴く、解釈する——映画という虚構を成立させるいくつもの作業が、驚くべき自然さのうえで成り立つのがロメールの映画である。

 

[1] エリック・ロメール『美の味わい』、梅本洋一武田潔訳、勁草書房、1988年、127頁

[2] 『WAVE』35号(1992年11月)、ペヨトル工房、32頁

[3] 御園生涼子は、ロメールの処女長編『獅子座』で、浮浪者になった主人公が不意に転がり込んだ遺産によりブルジョワ社会へと救済されたことや、以後のシリーズ作でも「街頭からは彼がかつて映し出して見せた浮浪者の姿は締め出されている。そこには民衆の身体はない」ことを指摘している。『レネットとミラベル』では珍しく浮浪者の姿があるのだが、街頭にしゃがみ込んだ浮浪者に、レネットもミラベルも立ったままお金を与えるという上下関係が崩れるということはなく、ブルジョワ的道徳の映画という側面は否めない。御園生涼子「望遠鏡の視野 ロメールストローブ=ユイレのリアリズムをめぐって」『ユリイカ』2002年11月、青土社、179頁

[4] ここでは取り上げることができなかったが、二人の映画のパスカルへの参照、神学的な側面も比較項として挙げることができる。Cf.ジル・ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』、宇野邦一他訳、法政大学出版局、2006年、148頁。またドストエフスキーの『やさしい女』の映画化も、ブレッソンが行う前にロメールが構想していたというが、それは幻に終わった。『WAVE』、前掲書、193-199頁

[5] ジャン・ドゥーシェとの対話「エリック・ロメール、確かな証拠」『ユリイカ』、前掲書、132頁

[6] ロメール「映画作品と、話法の三つの面——間接/直接/超直接」『美の味わい』、前掲書、108-119頁

[7] 野崎歓「映画を信じた男——アンドレ・バザン論」『言語文化』32号(1995年)、一橋大学語学研究室、25-35頁。

[8]エリック・ロメール、確かな証拠」『ユリイカ』、前掲書、134頁

[9] 『WAVE』、前掲書、96頁

[10] ちなみにここでも二人は「自然に naturel!」と声を掛け合ってさも尾行していないかのようにみせるのである。

 

f:id:kayanohiyu:20220214215235j:plain

図A

f:id:kayanohiyu:20220214215258p:plain

図B

f:id:kayanohiyu:20220214215315j:plain

図B

f:id:kayanohiyu:20220214215329j:plain

図B

f:id:kayanohiyu:20220214215349j:plain

図C

f:id:kayanohiyu:20220214215406j:plain

図C

f:id:kayanohiyu:20220214215421j:plain

図D

f:id:kayanohiyu:20220214215434j:plain

図D

 

個を引き受けること——松浦理英子の小説における「対話性」

学部二年の夏に書いたものです。はじめてまともに書いたレポートかもしれない。

 

はじめに

松浦理英子は一九七八年に『葬儀の日』で文學界新人賞を受賞してデビューした作家である。松浦の作品においては、エッセイや対談、インタビューなどで語られる松浦自身の考えを、小説内の人物が代弁しているかのように読まれることも多く、「非−性器的恋愛」といった既成のジェンダー観への批判としての作品に注目する評が多い。本稿ではいくつかのキーワードに注目し[1]、『犬身』を中心にしながら松浦作品を論じたい。

 

境界と反転

 八束房恵は「犬になりたい」という願望を持つ女性だが、この「犬になりたい」という願望は、実は複数の要素を持っている。まずは「人間は面倒臭い」ということ。その理由としては、房恵は久喜以外に友達らしい友達を持っていないことと、その久喜との間でも関係は停滞しており、かといって離れて行こうとすると久喜は動揺するであろうことが予想できること、そんな人間の機微を推し量ることへの「面倒臭さ」が描写されている[2]。ところで松浦は、性器中心主義を一貫して批判している。ついでのようだがここに付け加えておくと、久喜の臍のゴマをとるシーンにおいて、臍の描写をすることは房恵の「匂い」に対する考え方を描写するとともに、女性器でも肛門でもない「穴」を描いているのではないだろうか。
 次に、好きであるあまりに対象と同一化したいということ。犬になるというのは一見突飛な発想にも思えるかもしれないが、人間同士ならば相手を好きなあまりに相手と同一化したいという願望は特に珍しくもなく、むしろ性行為というのはそうした感情の結果とも言える。しかし、愛する対象そのものになるということは、愛する主体がなくなるということでもある。実際、房恵が犬になった場面では、自分は自分に触れることができないということを悲しみ、できるだけ触れようと体を丸める[3]。そこで別の愛する主体を導入する必要がある。それが玉石梓なのだ。房恵の願望は「玉石梓の犬になりたい」ということになる[4]。こうした、愛する対象と主体の問題は、房恵と梓の会話において考察される。梓は房恵の犬への接し方を「犬と存在を混じり合わせようとしてる」ように思えると言い、それを受けて房恵は、自分の犬化願望は「つまるところ、犬と混じり合いたいということなのかもしれない、と今思いました」と言う。犬になることと犬と混じり合うということは微妙に異なっている。犬になることは個を保存したままに自己/他者を反転させることであり、混じり合うことは自己/他者の境界をなくすことである。種同一性障害というからには、房恵は犬と人間の魂が混在していることに違和を感じているのであるし、結局犬になることを選ぶ。そして梓はそのどちらの願望も持つことはなく「犬は自分とは別のものでなければ困る[5]」と言っている(物語終盤で、人間は面倒臭いという理由から「犬になりたい」と冗談めかせて言うシーンはある)。
 『葬儀の日』においても、泣き屋と笑い屋は混じり合うということはない。彼女たちは常に皮膚や川といった境界によって隔てられている。基本的に私=泣き屋の語りですすむ小説だが、「彼女」(=笑い屋)が「私」として夢について語り出す場面がある。笑い屋は、写真に私(=笑い屋)が写っているのを見たときに目に入った自分の体が、自分のものではないことに気がつき、鏡を見るとそこには自分ではないものが映る。写真には「私の物であるはずの私の顔」が写っているが、それが出てくると「あなた」の声で笑う[6]。写真と鏡に隔てられた彼女から私、そしてあなたへの反転が起こっているのである。

 

対話性

 すでにみたように、房恵は自分の気持ちについて、他者との会話において考えを深めていく。小学生の頃から「私は犬です」(ここでは「犬になりたい」ではない。自我の確立されていない子供の時点では同一化してしまっていたのだろうか)という作文に書いていたが、体は人間だけれど魂は半分くらい犬なのではないか、ということには久喜に言われて「腑に落ち[7]」る。『奇貨』でも、本田はどうやら男社会には馴染めないらしいと思案するが、それは〈受け〉なのだと七島に指摘されることで「胸のつかえがさっぱりと下り[8]」る。他者に指摘される=対話を行うことで、自らの内面に気がつくということである。また、対話というときに気をつけなければならないのは「内省」と区別されるべきだということである。つまり、対話は自分以外の個体としての他者がいてはじめて成り立つものである。一方で、松浦は「自分の中で一人二役していることと、あるいは現実の誰かにその役をふりあてて会話するのと、もしかしたらその本質は同じかもしれない。[…]「私と他者」という図式そのものがおかしいのではないか[9]」とも言っていて、対話は自己のみでも行われうるかもしれないが、その場合一人二役であるということ、つまり決して、一人きりでの内省ではないということだ。
 松浦作品においては会話部分が作中人物をよく表し、魅力的にしている。房恵は、梓との「お喋りはじゃれ合うことに似てる」として「自分で話していても話の内容以上に、梓に話しかけ耳を傾けてもらっていることが楽しい[10]」と感じている。朱尾との「深い意味のないことば遊びめいたやりとり[11]」には親近感を覚えているし、犬になってからは朱尾以外にことばをやりとりできる相手がいないため、朱尾に会うと「ことばをやりとりできて嬉しい[12]」と感じている。彬は「人間同士の会話でこれほど話が噛み合わない[13]」ことってあるんだろうか、とフサが思うくらいには会話ができない(つまらない)人物として描かれているし、梓の父親も「たぶん会話が苦手そう[14]」である。会話能力(内容に関わらないことばのやりとりをする能力)そのものが人間の魅力であると房恵は考えていて、それはおそらく松浦の考えであると言ってもいいだろう[15]
 犬に変身してからは、徐々に玉石家の醜悪な実態が明らかにされていく。フサは基本的には梓とともに行動しているので、梓が家族と交わす会話を「立ち聞き」することになる。物語は基本的には三人称をとるが、フサの視点から描写は成される。よって、フサの視点から見た世界を読者は見ることになるが、フサは「夢うつつの世界」で、再び朱尾に語り直して「論評」する。つまり、作中にすでに朱尾という読者の役割を果たすものが存在しているのである。また、梓のメールや彬の妻のブログなど、他にも(広義の)作中作の要素が組み込まれている。『犬身』以外の作品においても、松浦は作中作の構造を組み込むことが多い。『ナチュラル・ウーマン』の容子と花世は漫画を描くし、『裏バージョン』は前半部分がほとんど昌子による小説であるし、『奇貨』でも、本田が私小説家として明らかに読者に呼びかけているような描写があり、「奇貨」自体を本田の私小説としてみることも可能だろう。作中作をとるということは、作中に作者と読者が存在するため、松浦という作者と私たち読者を遠ざける効果をもつ。それによって、「どうせ自分が書いているんじゃないからいいや[16]」と松浦が小説を書きやすくなるということもあるだろうし、私たちは、これは松浦の考えではなく作中人物の考えなのだということに注意しなければならない(と松浦に釘を刺されている)。
 また、作中作を小説に組み込むことは、別の視点を織り込むということでもある。梓のメールは、フサには知り得ない梓の考えを梓自身のみが語りうるものであり、ブログはブログの書き手のみが語りうるものだ。対話とは内省と区別されるものであり、同時に代弁しないということでもある。しかし、ブログというインターネット空間に匿名で放たれた文章では、視点を乗っ取って代弁するということが可能になる。彬が書いたのかもしれないブログは、「出来事を梓の立場に立って倒錯的に反芻し、好き放題に書[17]」かれたものである。フサ=読者はそれが梓によって書かれたものではないことを知っているが、結局のところ、彬が書いたのか母親が書いたのかははっきりとは明かされない。書き手のわからない文章はグロテスクな危うさをもったものとして描写され、あくまで肉体をともなった発話が対話の条件となっている[18]。作中の会話としての具体的な対話と、作品の構造としての対話性[19]。この二つの対話性が、松浦の主題とされる「関係」を描くうえで重要な要素となっている。

 

 

 

[1] 「通りのいいキーワードを使って何か言ったつもりになる」(『おカルトお毒味定食』河出文庫、一九九七年、四六頁)ことを松浦は批判している。

[2] 『犬身』朝日文庫、二〇一〇年、上巻・三一頁

[3] 『犬身』上巻・一七一−一七二頁

[4] Cf.内藤千珠子「わたしは犬になり、あなたはわたしになる」『小説の恋愛感触』みすず書房、二〇一〇年、三九−四〇頁

[5] 『犬身』上巻・七〇−七一頁

[6] 『葬儀の日』河出文庫、一九九三年、四六−四七頁

[7] 『犬身』上巻・二七頁

[8] 『奇貨』新潮文庫、二〇一五年、三一頁

[9] 「作品をいじるより、作品にいじられるために」後藤繁雄『彼女たちは小説を書く』メタローグ、二〇〇一年、二一九頁

[10] 『犬身』上巻・七一頁

[11] 『犬身』上巻・八五頁

[12] 『犬身』上巻・二〇七頁

[13] 『犬身』上巻・二三九頁

[14] 『犬身』上巻・二七〇頁

[15] 「小説の中の会話は物語を進めたり滞らせる働きがあったり、あるいは、人物を表現する手段になったりもしますけれど、『奇貨』ではそういう働き以上に、会話そのものが描写する価値のあるものだと思って書いていました」(「それぞれの孤独に寄り添って」『新潮』新潮社、二〇一二年十月、二五二頁)

[16] 『彼女たちは小説を書く』二一三−二一五頁。

[17] 『犬身』下巻・一一二頁

[18] ここで、金井美恵子のテクストの「よるべのなさ」と対比することも可能だろう。他にも、金井が「吐き気」であるのに対して、松浦は「嘔吐」(『犬身』では「犬形ゲロ噴射銃」、『葬儀の日』終盤での老婆の嘔吐)であり、一文の長さも対照的であるなど、対比できる項がいくつかあると考えたが、うまくまとめることができなかった。

[19] Cf.『彼女たちは小説を書く』二一一頁

 

岡上淑子のフォト・コラージュ

学部三年の冬に書いたものです。コメントでは、シュルレアリスムの女性作家と比較すべき(ハンナ・ヘーヒとか)って書かれました。

 

 わずか七年の間におよそ一二〇点の作品をのこし、四十年ほど忘れられた作家であった岡上淑子のフォト・コラージュは、近年の再評価が著しく、「日本の女性シュルレアリスト」 として固有の位置をしめている。岡上淑子の作品をシュルレアリスム的であると称してよいのは、もちろんそのコラージュ作品の表現に認められるが、何よりマックス・エルンストの影響が知られているからだ。友人の若山浅香を通じて知り合った瀧口修造の家で、エルン ストの『百頭女』をめくってから、啓示を与えられるように作風が広がっていったと岡上は語っている*1。本稿ではエルンストのコラージュの方法論を参照しつつ彼女の作品を論じるが、その理論の枠を踏み越えるような自由さを封じ込めないことを願う。

 

意味と無頭

 エルンストのコラージュは単に紙を切り貼りする操作のことではなく、意味論的操作である、と論じたのはルイ・アラゴンだ。アラゴンは、「借用されたイメージがその視覚的特性によってではなく、それが表している意味内容によって選択される場合、それは一つの 「言葉」の役割を果たしている」*2という。つまりコラージュとは、完成された図版やイラストから要素を切り出して、別の図版の他の要素と継ぎ目なく貼り合わせ、関係させることで新たな意味をうむ、という操作のことである。アンドレ・ブルトンが『百頭女』の序文において導入している「デペイズマン」という概念もまた、そうした意味論的操作によって、 新たに作られた図に違和感や疎外感を生み出すということである。 
 岡上は、一九五〇年から二年間通った文化学院で出されたちぎり絵の課題から、紙を切り 貼りする作品を制作するようになる。その初期(エルンストを知る以前)の作品は、黑や赤 の羅紗紙を台紙に用いて、写真を切り抜いたパーツを組み合わせて貼り付けたものだ。背景が単色であるだけに、配置されたパーツの構図の巧みさが際立つ。たとえば、《母》(1952 年)と題された作品は、黒い台紙と同じ比率で四角く切り抜かれた森の写真に、四人の子供たちの顔が木の陰から覗くように配置され、またその四角い枠を胴体とするように、その左上に母親の頭部が、左に片手が伸びる。エルンストの《ロプロプがシュルレアリスム・グル ープのメンバーを紹介する》(1931 年)にも共通するような、画面内にフレームを入れた構図がとられている。
 また、ナイフに突き刺された女性の頭部と、その赤色が血のようなイメージを喚起させる トマトの輪切りとを組み合わせた《トマト》(1951 年)や、女性の頭部が黑猫にすげ替わった《マスク》(1952 年)など、人間の頭・顔が主要なパーツとして用いられた作品が多い。 エルンストもまた、頭部を動物などにすげ替えた作品を残している。たとえば、『カルメル 修道会に入ろうとしたある少女の夢』にある、ピウス(かささぎ)11 世のイラスト*3がそうである。顔を取り除いて、動物や機械などに取り替えることは、人間の意味を担う部分として顔が機能しているという前提のもと、その意味を無効化する、あるいは別の意味へとひらくということである。この時期の彼女はエルンストやコラージュという意味論的操作を知らなかったと考えられるが、着目する身体のパーツやその用い方は、極めてエルンストに近い部分があるといえるだろう。

 

天使とモード

 

と同時に、エルンストと大きく異なる点の一つが、女性の身体の用い方である。『百頭女』では、「百頭女、私の妹、惑乱」という呼びかけが繰り返されるが、それは男性主体によって見られ、その主体を惑わせるという意味での女性である。男性=私の作為を裏切る他者、あるいは不気味なもの、が女性に託されすぎているのではないだろうか。たとえば第二章十一枚目のコラージュ*4は、部屋に座った少女の服の上から、片方の乳房が貼り付けられるというフェティッシュな身体表象と、少女がこちらを見つめる人形めいた目つきが印象的である。エルンストのコラージュにおいて女性は、その枠の中に収められ、意志をそがれたオブジェとしての役割を担わされている場合が多い。
 岡上は、モード雑誌『ヴォーグ』や『ハーパース・バザー』、あるいは『ライフ』のようなグラフ雑誌から素材を持ってくることが多かった*5。戦後復興期にあたる一九五〇年代の ファッションは、オートクチュールの華やかなドレスが一流デザイナーによって盛んに作られた時期でもある*6。ほとんどの作品の画面の中で主役となって、繊細な布をまとった煌 びやかな女性たちには、窓を飛び越えたり、水上を駆けたり、不思議な生命力を感じさせる逞しさがある。《叛逆の天使》(1954 年)はその象徴的な作品だ。襞が幾重にもかさなった 白いチュールのドレスの女性は、大きな鋭角の翼を広げ、二つの手でピストルをはなつ。彼女の後ろには、そのピストルによって飛ばされたかのように空中にひっくり返った男性が 配置され、その躍動感と、対比的な女性の静かな叛逆への意志が感じられる。戦争の跡が残 存する風景のなかで異国の高級ファッションに身を包んだ女性は、天使のような崇高さと 残酷さを象徴しながら、自由に羽ばたく。

 

私たちの物語

 岡上の作品に影響を与えたという『百頭女』は本の形であることに意味がある。本の形であるということは、①パーツの寄せ集めである一つ一つのコラージュがさらにページの束 としてまとめられ、②前から後ろへと時間的な流れがうまれ、③それによって「物語」が生 み出され、④複製技術によって個人の手元へと受け渡され、それぞれを作品と呼ぶことを可能にする。エルンストは、十九世紀小説の木版画の挿絵などを切り抜いて作品に用いるが、そのコラージュは継ぎ目がなく、元の要素なのか貼り付けた要素なのかわからないほどで、さらに本にプリントされることでいっそう目立たないようになっている。複製されること を念頭において製作された作品群は、作者の主体性、作者の「手」の所在をあやふやにする*7。完成された図版を、作者の操作によって意図的に作り替えるということではなく、——もちろんコラージュという操作を説明すればそういうことになってしまうのだが、そうではなく——事物どうしが図版の上で偶然に出会ってしまう様子を客観的に私が見ている、という状況でもあるのだ。
 作る私の働きが、同時に見るもの多数性へと開かれてゆくような運動は、「私たちは自由よ」という岡上淑子の象徴的な呼びかけによって、継ぎ目のないようにみえる女性=「私たち」の物語として示される。結婚を機に制作から遠ざかってしまった岡上だが、日本で「日常の生活を平凡に掃き返す私の指」*8から、異国のモードの女性を用いたコラージュを作りだすということにはかなり意識的であった。私と同一的でありながら、どこか違和のある断 裂を示す女性の身体と衣服は、憧れとも逃避ともいえぬ夢の引用となる。ロラン・バルトによれば、「モードの女性は、自分自身でありたいと同時に、他人でありたいという夢を抱いている」*9岡上は戦後の日常と、モード世界の非日常のあいだで、夢のイメージをその手か ら具現化していた。
 たとえばその手が雄弁に語る《刻の干渉》(1954 年)。大きなシャンデリアのある部屋の、 画面左奥の窓にのぞく暗闇には、半月がのぼり、男性的な手が招いているような仕草で女性 へと向けられている。それに背を向ける白いドレスを纏った女性の頭部からは、七つの白い手袋をはめた手*10が、何かを探し求めるかのように伸びている。特にそのうちの一つは、二 の腕のラインから真っ直ぐに伸びるように配置され、刻——たとえば結婚や出産の刻——干渉から逃れるように先へと急ぐ。
 岡上淑子の作品を本の形に綴じたのは、金井美恵子である*11。真っ赤な表紙の『カストロの尻』には、昔読んだ本の引用や、映画の記憶や、岡上のコラージュと同期する水や布の描 写が一冊に収められる。ちょうど中程の頁には、『愉しみはTVの彼方に』という別の本の一頁をひらくマニキュアを塗った手の写真が挟まれ、本を読んでいる私とその中にいる私は出会うことになる。

ボートに乗った若い娘は(ボートやゴンドラや小型ヨットや和船の屋形船も含めて)あなた(私に見つめられている、それとも、私を見つめている?)だけでなく、だけなどでなく、無数にいたし、いるのだ*12

《破船》(1951 年)に乗った女性は、私のほうを振り返って見つめているのか、それとも引用=コラージュの海のなかに投げ込まれて、私たちは夢を見ているのだろうか。

 

 

*1:岡上淑子「夢のしずく」『岡上淑子全作品』、河出書房新社、2018 年、160 頁

*2:石井祐子『コラージュの彼岸:マックス・エルンストの制作と展示』、ブリュッケ、2014 年、67 頁

*3:マックス・エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』、巌谷國士訳、河出文庫、1996 年、69 頁

*4:マックス・エルンスト『百頭女』、巌谷國士訳、河出文庫、1996 年、69 頁

*5:岡上のコラージュの素材元については池上裕子がいくつかの出典を明らかにしている。池上裕子「自由と解放のヴィジョン——岡上淑子のフォトコラージュ」『岡上淑子全作品』、前掲書、170-179 頁

*6:当時のファッションと岡上淑子の作品世界との共通性については以下を参照。神野京子「沈黙の薔薇 岡上淑子——鎮魂と祝祭のコラージュ」『岡上淑子フォトコラージュ 沈黙の奇蹟』、⻘幻舎、2019 年、 204-207 頁

*7:河本真理『切断の時代:20 世紀におけるコラージュの美学と歴史』、ブリュッケ、2007 年、80 頁

*8:岡上淑子「コラージュ」、『岡上淑子フォトコラージュ 沈黙の奇蹟』、前掲書、187 頁

*9:ロラン・バルト『モードの体系』、佐藤信夫訳、みすず書房、1972 年、353 頁

*10:この手袋の写真が“Hands across the sea”というタイトルの記事から取られていることも興味深い。(素材の出典は、註5参照)

*11:神野によれば、岡上がコラージュを制作していた当時、寺山修司の詩や瀧口修造の言葉を使って詩画集 を作ることが計画されていたが頓挫した。神野京子「沈黙の薔薇  岡上淑子——鎮魂と祝祭のコラージュ」、前掲書、193 頁

*12:金井美恵子カストロの尻』、新潮社、2017 年、115 頁

イメージの構築と破壊  山尾悠子「夢の棲む街」について

学部四年の春に書いたものです。時間がなくけっこうやっつけ仕事的に書いてしまった気がします

 

誰かが私に言ったのだ/世界は言葉でできていると*1——山尾悠子の小説世界を表す言葉として有名になった一節である。言葉によって架空の世界を構築し、かつ崩壊させること。 山尾悠子の最初の小説作品「夢の棲む街」(1976 年)*2は、いかなる仕掛けをもってそのカタストロフへと雪崩れ込むのか。

 

垂直の街の

 

この小説は十片の断章からなる。まずその始め、〈夢喰い虫〉のバクは街の中心部にある劇場の奈落から這い出し、目眩をおこしながら⻑い階段をのぼる。冒頭数行の描写からわかるように、この小説における一つの重要なモチーフは、垂直性の構造と運動である。「街は、 浅い漏斗型をしている」(9)。著者の当時住む京都と似た地形をもつ街が舞台である。その漏斗の底には劇場があり、その「劇場を中心として海星の脚のように放射状に走る無数の街路が、ゆるい傾斜で四方へ徐々にせり上がってゆき、漏斗の縁に当たる部分で唐突に跡切れ ている」(9)。さらにその劇場は円形の広場を有し、底に舞台があり、それを囲むようにすり鉢状の客席が配置される。つまり「街の構造を模して設計され」(12)ている。さらに舞 台の地下にはどこまでも奈落が続いている。そのように垂直方向に広がり続ける街の中で、 上下運動を繰り返しているのが〈夢喰い虫〉たちである。街に噂を広める使命をもつ虫たち は、夕暮れ時になると、その日収集した噂を街の最上部=円周に這い上り、風にのせて流す。〈夢喰い虫〉たちをはじめとして、この小説には畸型の生物のイメージが多く登場するのだが、それらはまるで、垂直性の秩序を保つ街の犠牲として歪められてしまったようなのだ。

 バクが棲みつく娼館——娼館およびマダムのイメージは金井美恵子の「春の画の館」に触 発されたと著者は明かしている*3——には天使と人魚がいる。両者とも性別の問題が畸型で あることに関わる。両性具有のイメージで語られることの多い天使は、ここでは狭い屋根裏 部屋で生殖を繰り返した果てに、癒着しあってひとつの塊と化している。人魚は地下にいて お客をとるので、どうやら女であるらしい。人魚もまた、現れた途端にくずおれてしまう。 そして〈薔薇色の脚〉。もとは街の乞食や浮浪者、街娼であった女たちを、劇場の演出家は〈薔薇色の脚〉に仕立て上げる。「見事に発達して脂ぎった下半身の、常人の二倍はある骨 盤の上に、栄養不良のため異様に痩せて縮んだ上半身が載っている畸型的な体軀は、見る者にある圧倒的な意志——この人工的畸型を造り出した者の偏執的な意志を、感じさせた」 (13)。コトバを吹き込むことによって歪められた断片的な身体は、見せ物として最適化さ れたうえに、劇場の底の舞台で死を迎える。ここに、小谷真理は「女性に与えられた極度の 暴力が召喚する幻想時間」を読み取っている*4。天使、人魚、〈薔薇色の脚〉はいずれも、外 から街へと連れてこられ、虐げられた。唯一、噂ですら来歴のわからない侏儒が、皆一⻫に下降する最後のカタストロフの中で上昇することができる。

 

誰かが私に言ったのだ

さて、冒頭に掲げた一節。意外なことに山尾は「比重はもちろん一行目のほうにある」*5という。誰かが私に言ったのだ、つまり伝聞による虚構の構築は、この小説では〈夢喰い虫〉 の暗躍がなしている。「街の噂によれば」と繰り返される前置きにより、発話主体の不明な 言葉は浮遊する。吉本隆明は「マス・イメージ論」で、ポオの「メエルシュトレエムに呑まれて」と比較しながら「夢の棲む街」をこう評している。

わたしたちは「夢の棲む街」の空想に、ありきたりの推理小説よりも豊かな〈推理〉の 現在における解体の姿をみている。もう現在の世界ではポオの作品が具現しているよ うな、世界把握の既存性が未知を手さぐりする語り手の冒険、いわば理性と想像力によ る弁証法的な冒険と遭遇するといった〈推理〉を描くことはできない。わたしたちは〈世界〉を把握しようとする。すると未知をもとめるわたしたちの現実理性と想像力はこの 〈世界〉に到達するまえに、その距離のあまりの遠さに挫折するほかなくなっているのだ*6

ここでいう推理とは、〈連鎖〉〈累積〉〈分岐〉をもとにして言語による認識をおこなう主体 が可能なことをいう。主な視点となるバクは、いつも肝心なところで睡魔に襲われ、出来事 の成り行きを最後まで見届けることができない。そのため後に残されるのは、ただ断片的な イメージ。私たちは街とそこに棲む生物の途切れ途切れの情報しか知ることができない。「自分がもう〈夢喰い虫〉でなくなってしまった」(53)と知っているバクは、「自分の好奇 心を満たすためだけに」(57)劇場の地下へと降り、正体のわからない〈あのかた〉の名 最後に呼ぶ。とたんに、劇場の崩壊へと巻き込まれるのである。
 後年、山尾悠子は「漏斗と螺旋」*7という短篇を書く。「初めて物語を、小説を書き始めた とき、〈わたし〉の物語を書こうとした。人称代名詞抜きの一人称の文体で夢の棲む街の光 景や出来事を書き記そうとして、たちまち躓いた。そこで〈ドングリのような体型〉の〈夢 喰い虫〉に片仮名の名を与え、穴に落ちたり立ち眩みをおこさせるうち、初のささやかな短篇が出来た」。〈わたし〉による世界の把握は、幾重にも遠ざけられた夢の街でその創造と崩 壊を目の当たりにすることになるだろう。

*1:山尾悠子「遠近法・補遺」『夢の遠近法』、ちくま文庫、2014 年、386 頁。

*2:山尾悠子「夢の棲む街」『夢の遠近法』、前掲書。以下この小説からの引用は本文中の括弧内に頁数のみ を示す。

*3:石堂藍山尾悠子̶̶絢爛たる空虚」『山尾悠子作品集成』、国書刊行会、2001 年、737 頁

*4:小谷真理「脚と薔薇の日々」、『山尾悠子作品集成』の栞より。ちなみに近年の山尾悠子再評価の流れに おいて、〈幻想〉の一言で片付けられていた作品をフェミニズム的文脈から掬い上げる試みも出てきてい る。例えば川野芽生「呪われたもののための福音——『ラピスラズリ』評」『夜想#山尾悠子』、ステュデ ィオ・パラボリカ、2021 年、108-126 頁。

*5:著者による自作解説、『夢の遠近法』、前掲書、417 頁。

*6:吉本隆明「推理論」『マス・イメージ論』、講談社文芸文庫、2013 年、73 頁

*7:山尾悠子「漏斗と螺旋」『群像』2020 年 1 月号、講談社、72-80 頁