2021-12-29(叔母たち/透明)

 

 


乗代雄介の最新の本である『掠れうる星たちの実験』に収められている、阿佐美サーガの書き下ろしの一片「フィリフヨンカのべっぴんさん」には、景子が叔母のゆき江に生前貸した最後の本が『違国日記』の第一巻であることが書かれている。

2020年1月23日の私の日記によると、たまたま書店で買い求めた『最高の任務』と『違国日記』が両方とも叔母と姪の関係を描いた物語であることの偶然に驚いている。

 

槙生ちゃんとゆき江ちゃんって、ちょっと似てない?でも身長がぜんぜん違うね。そんで、ちゃんと友達がいるね。あと、槙生ちゃんは小説家だけど、ゆき江ちゃんは絶対書かないでしょ。でも姪っ子に日記書いたらとか言うのは同じだ。訳わかんないこと言って考えさせるのも一緒。だいたい、叔母って無責任なんだよね。


という言葉を景子はゆき江に直接ぶつけることはなかった。朝とちがって、一人きりで読み、一人きりで書くしかなく、絶対的に取り残されてしまう景子のことがどうにもうかばれないという気がしてしまう。でもまあフラニーが「シーモアと話がしたい」と言うのだって、そのうかばれなさこそが小説の語りの力になるものね。

 

……このような本同士のリンクを読者はひそかにたのしむのだが、本そのものにリンクを貼られてしまうとちょっと拍子抜けしてしまう。乗代雄介はどんどん構造のわかりやすさ、参照項の明快さを心がけるようになってきている気がしていて、「こう読め」と言われているような気がしないでもない。


本同士のリンクでいえば、スタロバンスキーの『透明と障害』をちまちま読んでいる間に伊藤計劃の『ハーモニー』を読んで、これはルソーの目指す「透明」が描かれているではないかと思った。でも「ルソー ハーモニー」でTwitter検索したらツイートがそこそこあったので割とみんな考えることだったっぽい。