2023年8月の日記

 

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8/1 Tue

朝からお腹の調子が悪く、さらに昼にカレーを食べたので打撃が加わる。カレーは味はいいのだけれど身体ダメージが強く、わりと苦手な食べ物になりつつある、(←昼時点ではこう書いていた)夜までお腹が壊れたままだったのでもう二度と食べるまい…。『娘の誘惑』でラカンの視覚中心主義の話が出てきたが、そういえばオイディプスが自らの目を潰したということは精神分析において何か言われているのだろうか。『真理と方法』二巻目を読み始める。一巻目(第一部)の二節はガダマーの主張が楽しかったのだが、またお勉強パートになり、やや退屈する。表現と真理の関係。

8/2 Wed

お腹は回復し、安心な素麺を食べる。アレンジレシピがよくSNSで流れてくるが、私はめんつゆ+梅(梅干しか梅おかかの瓶詰め)+生姜のチューブで概ね満足で、たまにめんつゆ+卵黄+ごま油+キムチとかにする。麺は揖保乃糸で、麺つゆは唐船峡かにんべんのもの。sとベイトソン『精神の生態学へ』の読書会をやった。読書会というものに私はあまり意義を感じていないのだが、sがもともとやっていた会を奪ったという経緯があるため……。本自体の面白みもまだよくわからない。データ⇔仮説の往来では仮説が増え続けるだけで、基底的な知へとなかなか至らないので、基底的な知にも根ざすことが重要と序章で述べているが、まだそれがどういうことかはわからない。夜になってまたお腹が悪くなってきたが、これは明らかに食べ過ぎの症状。

8/3 Thu

母と母方の祖父の双方から理不尽に叱られ、最終的に失望されるというよくわからないが嫌な感じだけははっきりとある夢を見て目覚め、5時ごろである。おそらく歯軋りのせいで上顎が痛い。sを起こすと、sは私の夢を見ていたと言う。交換日記を書くために『冬の夜ひとりの旅人が』を少しめくっていたらいい感じのところがあり、tumblrを久しぶりに更新した。

栞紐 on Tumblr

8/4 Fri

Amazonから本10冊とハリボーのバケツが届く。暑さのせいでくまの形が消え去っている。なんとなく調子が悪く活動ができない。『それは誠』が期待を裏切らない面白さだ。お笑いのことは何もわからないが、よくできたコントを見ているような、『セトウツミ』を読んでいるときの感覚に近いかもしれない。

8/5 Sat

昼からデートの予定だったがどうしても外に出られず、冷房がんがんにして閉め切った部屋でぼーっとしている。出始めた秋冬物の服を眺めて意識を冬に飛ばす。富豪だったら北半球と南半球を行ったり来たりして秋冬のみの世界を生きるのに。たぶん寝不足だったので、四時間くらい昼寝をした。ポケモンスリープが、人間は寝なければいけないという弱点を狙ってポケモンたちが反逆を起こすためのデータ収集目的のものだったらどうだろう。お風呂とベッドで『魍魎の匣』読み終わる。さすがの読み応えで凄い。これで京極夏彦を読んだことのある側の人間になった。笠間直穂子の↓のエッセイがとてもよく、現実世界から一時的に逃避するために読書せずにいられない人がいることを確認できる。私は外から見て普通に学校にも会社にも適応しているのだが、それでも今日みたいに本の中の世界に行っていなければしのげない一日というのがある。

現実はいつも、なにかしら苦しい。本のなかに入ると、自分の体は消えて、自分の日常と重なる要素をもちつつも日常そのものとは異なる、一種の平行世界が体験される。だからわたしに必要なのは、没入できる本だった。現実に軸足を置いて解説する文章ではなく、現実を描写することで別の次元に移し替えるような文章。その次元に入りこみ、しばらくそこで過ごして、戻ってくることで、現実は多少、しのぎやすくなる。

INSCRIPT :笠間直穂子 連載:山影の町から 34 「十代の読書」

8/6 Sun

今日は家を出られた(10分くらい遅刻したけど)のでデート。本屋と古本屋を巡り、また10冊くらい買ってしまう、重い。重いのでデート中は持ってくれている。優しい。前にも行ったカフェでサバランを食べる。ルシアンティーにはいちごジャムがてんこ盛りについていたし、ここのサバランは本当にびしゃびしゃで美味しい。贅沢で官能的。信号待ちでキスしたりかなりべたべたしながら街を歩く。そのくせ街中のカップルにはけちをつけている、こう書くとかなり嫌な感じだ。楽しいからいい。初めて鳥貴族に行ってみる。とろろの鉄板焼きみたいなやつがやたら美味しく、無限に食べられそうだった。花火をしている人々を歌いながら眺め、解散する。世界に二人しかいないみたいに過ごしていたのにまた帰らなくてはならない。青松輝の『4』がかなり良く、電車で読んでいて涙ぐむ。

downyの"無空 live"

8/7 Mon

やりたいことと今できることがどうにも噛み合わず、嫌な感じだ。本を買っているので当たり前なのだが、もう床に積むより他にどうしようもないところまで来ていて、来たるべき引越しの際には本当にどうするのだろう… あんまり不要な本というものはなく、PDF化する気もなく、単行本を文庫本に変換するくらいのことしかできない(そしてそれはむしろお金のかかることだ)。昨夜から喉の下の方がちょっと腫れぼったくいがいがしたような感じがして怖い。大濱普美子を初めて読んでいて、小川洋子小山田浩子吉田知子を足して割ったみたいな感触もするが、けっこうホラーよりの怖さ。夜電話していて、sは私のことを8割猫だと思っているらしいことがわかり、はちねこ!?と驚いた。

8/8 Tue

まじめにちまちまと働いてしまった。酸っぱいものが大好きで、冷麺や坦々麺にお酢をだばだばかけるのだが、素麺に麺つゆ+お酢+ごま油(+卵黄)でだいぶ美味しいことがわかり、昼と夜で二回食べた。『猫の木のある庭』を最後まで読み、ぼんやりしていた。「水面」で落下の感覚を夢で先取りするところに、身体が同期する感じがしたからかもしれない。

8/9 Wed

激しく降ったり止んだりの天気が続くのだろう。おそらくは不安定な気圧のせいでぐったりしている。右目が痛い。『精神の生態学へ』上巻は読み終わり。ベイトソンフロイトを大変気にしているよう。青松輝の『4』は「数字しかわからなくなった恋人に好きだよと囁いたなら 4」という歌からそのタイトルがとられていて、彼自身も穂村弘からの影響は大きいと語っていたが、思っていたよりも「手紙魔まみ」の影響を感じる歌が多い。それで「手紙魔まみ」をあらためてめくっていて、全然覚えていなかったがこんな歌があった。「1や2や3になったが現在は162で落ち着きました」。162といえば身長のことかと思う(まみのイメージからはちょっと高め)が、前半の1や2や3になるとはどういうことなのか一瞬考えてしまう不思議さがある。手紙魔まみの凄さは、読むとまみになってしまうところで、それは穂村弘がまみになっているからだ。僕からみた「君」になってしまう歌より、君を有する「僕」になってしまう歌より、圧倒的な(神様と言ってもいい)まみになってしまう歌がいいのだった。

8/10 Thu

今日も真面目にたくさん働いてしまった。

堀江由衣の"光の海へ"

8/11 Fri

三連休初日。夢見が良くない。『幻獣の書』読み終える。タニス・リーを読むのは初めてだったが、ゴシックロマンス要素と神話的要素の塩梅がよくとても面白かった。訳者の浅羽莢子は名前を見たことがあるなとは思っていたが、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『九年目の魔法』の訳者でもあった。この人の訳したものはすべて面白い可能性がある。53歳の若さで亡くなっていた。昔から作家より翻訳者のことが気になるし憧れている。パオロ・タヴィアーニ『遺灰は語る』をみた。ユーモアがありながら大変美しい映画で、印象深いのは、列車で闇が現れたり消えたりしながらアルザス地方出身のイタリア語がわからない女と元兵士の男のカップルが愛撫を始めるシーンや、短編に切り替わる前の、海がひらけてカラーになるシーン。インターネットのレビューを見ていると、短篇の『釘』は前半と関連あるの?難しい…わからない…というのがそこそこあって驚く(君たちはどう生きるかでもそう思った)が、少年の突然の暴力性の発露の影に移民だったという事情は示されていたはずで、それは1936年のイタリアで死んだピランデッロが世界や人間や戦争をどう見ていたかということを寓話的に描いてもいるだろう。移民つながりでゼーバルト『移民たち』を少し読む。

翻訳者の矛盾 | 浅羽莢子のFine, Peace!

8/12 Sut

デートの日。ユーロスペースジャック・ロジエ『メーヌ・オセアン』をみる。面白くてよく笑ってしまった。運動と連鎖という映画の醍醐味がよくわかるいい映画だった。原宿に移動して、十年ぶりくらいの竹下通りを少し歩き、カフェでレーズン入りスコーンとオレンジキュラソー入りココアを頼む。ココアはとてもたっぷり入っていて美味しい。sが頼んでいたアップルタルトも一口もらう。隣の30代後半〜40代くらいの女性二人組が、推しのジャニーズについて延々と話しており、つい聞き耳をたてる。生身の人間の仕事に自分の人生を仮託するタイプの推し方は大変だねえと私たちは話す。ラフォーレで服など見て、指輪を一つ買う。今日着ていたジャガード二段フリルのワンピースは家の周りだとやや浮くが、渋谷原宿だと全く浮かないし物足りないくらいである。青山ブックセンターも覗く。たまたま違国日記の原画が展示してあった。歩いているとまた渋谷に戻ったのでファミレスでご飯を食べる。胃腸が不安な感じなので、サラダとオニオングラタンスープにしておいたが充分な量だった。ライムとレモングラスの飲み物が、ルームスプレーの味がすると言ったら、それあなた日記に書くでしょうと言われたので、今書いている。たくさん歩いたので足が疲れ、メディキュットをはいて壁に足を立てかけてむくみを取り、sが髪を乾かし終わって電話がかかってくるのを待っている。

8/13 Sun

部屋の片付けをし、ごろごろしていた。『移民たち』読み終わる。開発環境で作ったプログラムなどを本番環境に反映させることを移送(transport)というので仕事で馴染みのある単語になったが、ゼーバルトの本で出てくる移送とはユダヤ人が強制収容所に送られることに他ならず、たとえば「わたしの人生はすべて、すみずみに至るまで、両親の移送によって決定してしまった」というような文章が出てくる。寝る前にはケイト・ザンブレノの『ヒロインズ』をぱらぱらめくっていた。買ったときから大事な本だとわかっていて、時折めくっているが読み通してはいない。狂気の妻の表象といえば、私が最初に触れたのは江國香織の『きらきらひかる』だった。

8/14 Mon

労働の気持ちがつらいし気候で身体が不調な気がする。ヘアビューロンが欲しいとずっと思ってるけどそろそろ買ってもいいだろうか…

8/15 Tue

会社員生活で初めて寝坊した。目覚まし時計をセットし忘れみたいだった。でも9:30からの会議には間に合っていたのでセーフ。ジーン・リースの「サルガッソーの広い海」を読んだ。『ヒロインズ』でもちょうどジーン・リースに触れている箇所を読んでいた(池澤夏樹の解説が微妙だったので、ヒロインズを読むことを勧めたい…)。『ジェイン・エア』で狂気の人として他者から烙印を押されたに過ぎなかったバーサの声を取り戻すこと。あとは、経験されたこととそれを語るときに生じる歪みを、小説の技法としてうまくやっていると思った。ユベルマンの最初の本はシャルコーのサルペトリエールでのヒステリー研究についてで、読まなければと思っていたことを思い出した。

「なぜ私に生きたいと思わせようとしたの?どうして私にそんなことをしたの?」 「僕がそう願ったからさ。それだけじゃたりないのか?」 「いいえ、充分よ。でも、あなたがそう願わなくなる日がくるとしたら。その時はどうすればいいの?私が気づかないうちに、あなたがこの幸せを取り去ってしまったら?」 「そしてぼくの幸せもなくすのか?そんなばかなことをするやつがいるかい?」 「私は幸せに慣れていないのよ」彼女は言った。「だから怖くなるの」 「怖がることはないよ。怖くても、それを口に出しちゃいけない」 「わかっているわ。でも自分ではどうしようもないの」 「どうすれば安心できるんだい?」彼女はそれには答えなかったが、ある晩こう囁いた。「もし私が死ねたら。今、こんなに幸せなうちに。それをやってくれる?私を殺さなくていいのよ。ただ死ねと言ってくれれば死ぬわ。信じないの?やってみて、死ねと言って、そして私が死ぬのを見守って」 「それじゃ死ね!死ね!」ぼくは彼女が死ぬのを何度も見守った。彼女のではなく、ぼくのやり方で。日射しのもとで、日陰で、月光のなかで、蝋燭の明かりのもとで。家にだれもいない長い昼下がりに。連れは太陽だけだった。僕らはそれさえも締め出した。それがどうして悪い?彼女はすぐにぼくと同じように愛の行為と呼ばれるものに熱中した——時間がたつにつれて我を忘れておぼれていった。(345)

 

8/16 Wed

ロズニツァ『アウステルリッツ』、ポランスキー『水の中のナイフ』をみた。『ヒロインズ』に出てきたカヴァンの『あなたは誰?』と、『違国日記』最終巻も読んだ。違国日記は途中やや気持ちが離れたが、まあこういう作品があるのはいいことだというところに落ち着いた。

8/17 Thu

通話を繋げられる限りずっと繋いでいるので死にたくなる暇があんまりなくてありがたく思う。今のサーモンランは、ムニエールでトライストリンガー、オーバーフロッシャー、クワッドホッパー、ワイパーでやりやすかったので過去最高のでんせつ240までやった。あとは『カンポ・サント』や『夏期休暇』や『造形思考』をぱらぱら読んでいた。クレーのやり方はパターンを抽出するという点で、ベイトソンに似ているかもしれないと思う(勘)。

8/18 Fri

ここでの日記も一ヶ月ほど続いたが飽きてきてしまった。生理の存在によって否応なく周期性を意識させられるが、体調や気分の波と完全に付合するかと言えばそうでもなく、症状的には過敏性腸症候群という診断名がつくのだろうが自律神経やらストレスやらが原因だから根本的に治らない。U-NEXTでレンタルしたバーバラ・ローデンの『ワンダ』大変よかった。ずっと所在がなく男に頼る以外の何もできなくていつも泣きそうなぎりぎり感が切実で、これが監督とキャストが同じという私映画になっているから、陳腐にならずむしろ作品としてよくできたものだった。

8/19 Sut

あまりにも暑い。産婦人科で診察して薬を受け取る。入院・出産までできるところなのでちょうど生まれたばかりの子供を抱えて退院する人がいて、おめでとうございますと見送られていていた。生殖を望む人と既にした人と望まない人が同一空間にいることがいつも面白くややグロテスクに感じる。付き添っている夫も割と多い。滝口悠生『やがて忘れる過程の途中』、気軽に読めて楽しい感じの本はありがたい。しばらくもんじゃ焼きが食べたい!と騒いでいたが、今日食べたので満足した。もんじゃ焼きは店でしか食べれないし代替不可能な料理だと思う。sが中国の女スパイみたいな格好だったので、わ〜仕事終わりのスパイが休憩で大衆食堂にきてもんじゃ焼いてる〜と囃し立てながら焼いてもらっていた。sは嬉々として私にご飯を取り分けたりなにかと世話焼してくれるので、私は委ねきってすべてを任せている。

8/20 Sun

山尾悠子は二百冊くらいしか本を持っておらず、常に厳選して要らないと思えば売り払ってしまうのだと知り、私も今は無理でも老後は是非ともそうしたいものだと思った。今は1200冊くらい持っていて日々増えるので、到底無理なようにも思えるが。今日だって百均で使わないであろうシールやマステをこまごまと買ったりしていて、ミニマリストの対極である。

8/21 Mon

仕事で早起き。早く絶対に起きなければと思うと眠りが浅くなり、あんまり寝た気がしない。手帳界隈と勝手に呼んでいる人たちのSNSで手帳活用例(インスタで#ほぼ日手帳や#手帳の中身などで検索するとわかりやすい)を見るのが昔から好きで、インターネットを見始めたのもそれがきっかけかもしれないのだが、私はべつに既製品をコラージュしたような見栄えのよいページが作りたいのではなく、書きたいことや残しておきたいことをノートにまとめてうっとりしたいだけで、しかし根っからの面倒くさがりで美的センスがあるわけでもないため、自分の満足するやり方が掴めず、時折道具を買い揃えてノートを書いては飽きて放置するということをもう10年くらい断続的にやっている。今また書きたい波が来ており、inspic(スマホから手軽に印刷できる簡易プリンター)を買った。1.5万くらいしたので今回はすぐ飽きるわけにはいかない。カメラを向けられるのは苦手だが、写真の記憶力はよいので、いろいろ撮って残しておきたくなっている。五彩緋夏さんが亡くなってしまった。ときおりメイク動画を見ていたのでとても悲しい。

8/22 Tue

生理と気圧のパンチを食らっていて起きたときから心身の調子が悪いが、容赦無く仕事が降りかかってきたのでちまちまとやっていた。それだけ。

8/23 Wed

そこそこ切羽詰まった仕事がいっぱいきて嫌になっていた。プーランクのFigure Humaineをお風呂で歌ってたら少し元気が出てきた。脳内で再現できる曲が多ければ多いほどいいのでまた合唱をやりたい気持ちはある。

テネブレの"Figure Humaine - Bientot"

8/24 Thu

午後から出社し、新しく配属されたところの懇親会に出てみた。とはいえ普段の仕事で全然関わらない人たちなので、むしろ気楽に隅っこで人々の話を聞いていた。茅野として生きてる時間が長いし、会社で名字で呼ばれることのほうがなんだか違和感があり、そっちが仮の人格であるという感覚になりつつある。もう退職するような年齢の男性にクールビューティなどと評されたりして、これまでもわりとよくそういう感じで言われてきたが、これ年取ったらただ愛想の悪いとっつきにくいおばさん、になるんだろうなあと考えていた。入社以来、事務作業に次ぐ事務作業で楽ではあるがさすがにもうちょっと頭使いたいと思っているのだが、直属の人に話が通じる気配がなく、このままなら転職か…と考えはじめていたが、直属じゃない人は案じてくれていたようで、いろいろ掛け合いさえすれば転職しなくて済む気がする。それにしても趣味や休日に何してるか聞かれた時の正解が用意できなくて、ずっと困って曖昧に笑ってやり過ごしていた。

8/25 Fri

社交の疲れが出て家にいても外に出てもダメな気がしていたが、sとご飯食べてよくなった。トムヤムクンをいっぱい飲み、グァバジュースを飲み、お腹がたぽたぽになって、少し歩いた。いつも月の後半にかけて本が読めなくなっている気がするのだが、生理周期と関係ある?

8/26 Sut

家の中で手のひらほどの子猫が見つかり、必死に動物病院まで連れて行く夢、中学の時の音楽教師が実はちょっとずつ狙った人に毒をもっていて、それはある作品をもとにして行なっているのでは…?と推理し次の狙っている人を守ろうとする夢、などディティールがちゃんとあってストーリーも破綻していない夢を連続でみた。子猫は何度ももう死んでいるのではないか?と思いながら四角い箱に入れて運んだが、動物病院がダンス教室の上にあり、そのダンス教室は人が溢れかえっていてなかなか辿り着けず、しかも雨が降っていて、でもなぜか私の日傘(実際に使っているもの)が盗られてしまい、猫の方を預けつつ人ごみの中で日傘を取り返そうとするというような一幕もあった。カヴァンの『あなたは誰?』には、うだるような暑さと制限された世界で思考が止まってしまい、何を言われても自分のことのように感じられないような感覚がよく書かれていた。

8/27 Sun

また古本屋で色々と買い、荷物が重たい。雑多に色々と読むせいで欲しい本が多岐にわたっているため、買う本が多い。お祭りで人が多く、目当ての甘味処が臨時休みで心が折れ、別のところであんみつを食べたけど割と美味しくお腹が満たされた。sとバチェラー5をやんややんや言いながら見ていた。アマプラは早送りできないため最後まで見るには割と体力が要る。バチェラーの男が恋愛の相手を探すというより、家族となる人を見つけるみたいなスタンスで、家族家族うるさいなあと思う。sはというと、舞台となっているメキシコ特有の植生に最も興味を抱いており、男性が一人の女性を選ぶのが構図的に良くないと根本的なことを言っていた。

8/28 Mon

有給をとったので、平日昼間の雰囲気を満喫する。昨日の夜からやや涼しいかと思われたが、結局暑い。彼氏のたばこケースにパンダのシールを貼った。

一日の出来事のなかには日記にしか書けない事柄がたくさんある。日記に書かなければもう書き留められることはない事柄を、日記は言葉で留め置くことができる。一方で、日記には書けない事柄もある。時間が経って、多くの出来事が消え失せたあとで、その日をどうにか取り戻そうと願うように記される言葉は、日記とは別のかたちで出来事を記録する。そして小説は、そういう言葉で書かれるものだと思う。だから、ある一日を、ある出来事を、日記に書いてしまったら、もうそのことは小説のようには書けないような気がする。/滝口悠生『やがて忘れる過程の途中』283頁

8/29 Tue

『新潮』の日記号で、大森靖子の箇所を読んで、毎日大森靖子でいるというのはこういうことなのかと思う。高校からの友人と、小学校からなんと大学まで同じの友人とご飯を食べた。二人とも今月コロナになったらしく、よく咳き込んでいた。高校までの友人らとは会えばだいたい近況を話して、数年後結婚とかなのかね、みたいな話をする。結婚式に呼んでね!と言っておく。私が一人で出かけるとだいたい帰る時間にsは電話待機してくれていて、最寄駅に着くとすぐかける。今日もそうで、優しいなあいい声だなあと思い、友人というものは大事だがsがいればあとはどうでもいいやと思う。

8/30 Wed

特に書くことがないため、読んでよかった記事でも貼っておく。

【批評の座標 第9回】オブジェと円環的時間――澁澤龍彦論(七草繭子)|人文書院

23/8/29 「入間人間の手口がだいぶわかってきた」って何やねん - LWのサイゼリヤ

ソウルへ:旅中のメモ|河野咲子

成田先生感傷日記(8/18〜8/24)|匿名潟嬢姫

「失われた時を求めて」 対話的創造のほうへ 1/4 - オルフェウスの歌

日記というもの(日記)|丸田洋渡

8/31 Thu

インボイス制度のシステム改修があちこちで進んでいるのを日々見ているので、今から署名集めても止まらないだろうなあ…と思ってしまう。池袋西武のストライキも、アテネフランセストライキも、ネットでただ傍観する人になってしまう。『コードギアス 反逆のルルーシュ』25話まで一気見した。主人公が頭がよい作品が好きだ。