しばらく一週間ごとに出来事と即物的な感情をつらねた日記を掲載していたのだが、自分で見返してみてもつまらなく、また書けることと書けないことの線引きが難しく感じたので非公開にした。前みたいに書ける日は書くことにしようと思う。こうやって書くことの難しさは、日付を冠しているのにその日中に書けなくて結局そのままになってどんどん書けなくなっていくことで、この記事だって書き始めてから公開されるまで(公開できるのかどうかもわからず)一日以上の時間が経つかもしれず、6/27ではない日付が冠されるだろう。(なんと、約三ヶ月も経った)
私が今感じることと書くことの間にはどうしたって時間的な隔たりがあるのに、ツイッターみたいなツールがあってしまうから、その隔たりのことを煩わしく感じるようになっているけれど、隔たりがあることのほうが真っ当である。原稿用紙の最初から順々に書いていくのが苦手だったと何度も話していると思うけれど、今も紙の日記だと思ったことの半分以上を取りこぼしている感じがしてうまく書くことができず、こうしてパソコンで進んだり戻ったりするようにしか書くことができない。だいたい思考が先行するのでそれをまず目印の石を置いておくようにぐちゃっと単語で書いて忘れないようにして、そのままだと後から見てわからないから間の道を整備していくというように書く。でもたいてい道を整備する忍耐を欠いて、振り返ると中途半端に石ころが転がっているだけで、やがて忘れられる。
わたしが日記を書くことが悪であることを今夜ほどはっきりと思い知ったことはない。カフェでのヘンリーとのすばらしい会話に疲れはてて家に帰ってきた。寝室にすべりこみ、カーテンを閉め、暖炉に薪をくべ、たばこに火をつけ、化粧台の下の絶対安全なかくし場所から日記帳を引っぱり出してアイヴォリー色の絹の掛けぶとんの上に投げだし、寝る支度をした。阿片を吸う人はこんなふうにして阿片のきせるを用意するのだ、という気がした。なぜって、わたしが自分の人生を夢、神話、はてしない物語によって生き直すのはこの瞬間なのだから。(167)
アナイス・ニンの日記を少しずつ読んではため息をついている。かのじょにとって日記を書くことは生き直すことであり、それはソンタグの「私は生まれ直している」という日記本のタイトルと通じている。
アナイスの日記はヘンリーとジューンとアナイスの三者関係が書かれることが多いが、ヘンリーはアナイスから送られたプルースト全集を読み、しるしをつけ、その箇所についてまたアナイスが日記で「ヘンリーはこんなところにしるしをつけている」と書く。ヘンリーにはジューンの謎めきが語り手にとってのアルベルチーヌと重なってみえており、ジューンとアナイスの関係はアルベルチーヌとアンドレの関係に思える。だから私たちが読んでいるのは失われた時では語られなかったアンドレの視点である。
何を読んでもプルーストのことを考えてしまう病に陥っており、そのたびにプルーストはすばらしいと思い直している。書き溜めている私の引用tumblrでプルーストに触れている群もあるが、なかでも松岡正剛のこれはかなり凝縮して良さを表している。この文章は一度引用したことがあり、そのときはゲルマントの方で停滞していた。
ぼくはもともと文学的な人間でも哲学的な人間でもなくて、またとくに行動的な人間でもなくて、自分が体験したことのなかで気になったことを丹念に敷衍していくタイプです。昆虫採集型です。だから日記や日記めいたものはずっと書いていまして、自分の人生は日記のようなものだと思っていたくらいですが、これって「意識と実景の二重進行」なんですね。いわば編集的なんです。しかし世の中には、そのことをみごとにあらわしている人はいくらでもいる。フランス文学にも、むろんそういう作家や詩人がいた。それがぼくには大学に入る直前ではプルーストであり、コクトーだったんですね。また、パリを描写したリルケだった。それで、自分が書いている日記なんかよりよっぽど凄いものを求めて、フランス文学科に入ったんですが、そこから先に読んだものはフランス文学だからよかったとかダメだったということではなくて、たとえば「パリをどう描いたのか」という描き方について、ぼくが触発を受けたか受けなかったかということでした。〔…〕そういったものを読んで、「そうかパリを書いて、自分を書いているんだ」と思ったわけです。つまり場所を書いている。そういう場所を思考や表現の下敷きにしていると、二重進行が可能になるんだとわかった。そういうふうに書く方法があるのかと思った。これは読書法のほうからいいかえれば、読書をするときに「場所」を下敷きにしながら読むという「二重引き出し読書」とでもいう方法を、ぼくに気づかせたんですね。
松岡正剛『多読術』
アナイスの日記に出てくるプルーストも、ウルフの日記に出てくるプルーストも、そのような実景と意識の編集的な実践の参照項として登場する。
保苅瑞穂の本も、プルーストを日本語で読むことの美しさをよく引き出してくれる。『読書の喜び』も『隠喩と印象』もよかったが、『隠喩と印象』で、シャルダンとフローベールが事物の等価性という発明において共通しており、それをプルーストが理論的に小説に組み込んでいるという指摘は、こうまとめてしまうと普通に聞こえてしまうが、とても説得的な文章の展開で示されていた。
ところで私にとっては毎日が異なった国だった。私の怠けぐせにしてからが、新たな形で現れるので、とうてい同じ怠けぐせとも思えない。どうしようもない悪天候と言われる日であっても、しとしと降りつづく雨で家に降りこめられているというだけで、まるで船旅に出たような感興が湧き、滑るような快さや心しずめる静寂さを感じる。一方、明るく晴れた日にベッドでじっとしているのは、木の幹のように、自分のまわりにぐるいと影を一回転させることだった。さらに別なときにはちらほらと訪れる朝詣での人のように、近所の僧院からために一番の鐘が響いて、かすかな音のあられで暗い空をわずかに白く染めながら、生温かい風にとかされ吹き散らされてゆくことがある。すると私はあわただしく混乱していてしかも快い嵐の一日を感じとるのだった——そのような日には、ときどき思い出したようにやってきて屋根をぬらしてゆくにわか雨が、ひと吹きの風か一条の陽の光にたちまち上がってしまうと、屋根は鳩のような声で何かささやきながら雨のしずくを滑らせ、風向きがまた変わるまで束の間の太陽を浴びて玉虫色のスレートを虹のように輝かせる。次々と天気が変わり、空模様は急転して、雷雨などがやってくるこうした日には、怠け者でもいわば自分のかわりとなって大気がくり広げた活動に興味をおぼえ、むだに一日を過ごしたとは思わない。ちょうどあの暴動や戦争の時期が、学校を休んだ小学生にとって空虚な日々とは思えないように——なぜなら裁判所の周辺をうろついたり、新聞を読んだりしていると、たとえ自分の勉強はしなくても、発生した事件のなかに知性のプラスになるものや、怠ける口実などを見出したような気になるからだ。それはまたちょうど私たちの生涯で何か例外的な危機の起こる日々になぞらえることができる。そんな日には、これまで無為に過ごした者も、この危機がうまく解決すれば、これを機会に勤勉な習慣がつくと考える。それはたとえば彼が決闘に出かける日の朝のようなものだ。その決闘はとくに危険な状態で行われようとしている。そのとき、ひょっとすると生命も奪われるかもしれないという瞬間に、突然人生の価値が見えてくる。この人生を利用して作品を書きはじめることもできたし、せめて快楽を味わうことぐらいはできたのに、彼はまるで人生を享楽する術を知らなかったのだ。彼は考える「もし殺されずにすんだら、すぐにばりばり仕事をしてやろう、それからうんと楽しんでやろう!」実際突如として人生はかつてない大きな価値を帯びたのであり、それは彼が人生に、平素求めていたわずかなものではなく、人生が与えうると思われるすべてものをこめたからだ。彼は欲望のままに人生を眺めるのであって、これを経験が教えてくれた自分の送れそうな人生、つまりごく平凡な人生と見なしてはいないのだ。たちまち人生は仕事、旅、登山などいっさいのすばらしいことに満たされ、彼はこの決闘が不幸な結果に終わって自分にはそれも不可能になるのだと考える。ところが実は血統が問題になる以前から、芳しからぬ習慣のためにすでにそれらは不可能になっており、たとえ血統がなくともその悪習は続いたはずなのだ。ところでこの男は、かすり傷も負わずに帰宅する。だが、快楽、ハイキング、旅行など、死によって永遠に奪い去られはしまいかと一瞬危惧したすべてのものに到達するのに、彼はやはり同じ障害を見出すのだ。人生がちゃんとそれを奪い去っていた。仕事の方はどうかといえば——例外的な状況は、以前からその人のうちにあったもの、つまり勤勉な者の場合は勤勉さ、怠け者の場合には怠けぐせを掻き立てるので——彼は結局あっさりそれを休みにしてしまう。
私もこの男のようだったし、また以前にものを書こうと決意して以来ずっとこんなふうだった——その決心をしたのは昔のことだったが、それが昨日のことのように思われたのは、一日一日を起こらなかったものと見なしていたからだ。今日も同様で、にわか雨や晴れ間を無為にやり過ごしたまま、明日こそ仕事にとりかかろうと自分に言い聞かせていた。しかし空がからりと晴れ上がると私は別人になる。鐘の金色の音は密のようにただ光を含んでいるばかりか、光の感覚をも含んでいる(そのうえジャムの気の抜けた味さえ含んでいる、というのもコンブレーでは食事をさげたあとのテーブルに、蜜蜂のようによく鐘の音がいつまでもたゆたっていたからだ)。このようにきらきらと太陽の照りつける日に一日じゅう目を閉じているのは、暑さを避けて鎧戸を閉めておくのと同様にゆるされること、よく行われることで、健康にもよく、心にも楽しく、季節にもふさわしかった。二度目のバルベック滞在の初めごろ、私が上げ潮の青みがかった流れの合間に響くオーケストラのヴァイオリンを聞いたのも、こんな天気のときだった。あのころに比べれば今の方がどんなにか余計にアルベルチーヌをわがものにしていることだろう!日によっては、時刻を告げる鐘の音が、その音の聞こえる範囲内に湿気や光を力強く新鮮に張りめぐらすので、あたかも雨や太陽の魅力を、目の見えない人のために、あるいは音楽的に、翻訳したように思われた。だからこのようなとき、私はベッドのなかで目を閉じながら自分に言い聞かせる、すべては置きかえ可能なのだ、たとえただ音だけの世界になっても、目に見える世界と同じく多様なものでありうるだろう、と。小舟にゆられるように一日一日とのんびり過去にさかのぼり、常に自分で選んだわけでもない思い出、ついさっきまで見えもしなかった新たな思い出が、こちらが選ぶ余裕もないうちに記憶にさし出されて、魔法にかかったように次々と目の前に立ち現れるのを眺めながら、私は平坦な空間をのんびり陽に照らされて歩きつづけるのだった。
『囚われの女』Ⅰ、集英社文庫、168頁
ずいぶんと長く写してしまった。