2020-01-23(一周年/キャス/期末)

 

ブログ始めてから1年が経ったらしい。この記事は89件目だ。

二日連続で悪夢をみて明け方起きたので寝不足だ。ずっと眠くて目が痛い。

 

フランス語のテストが終わったあと、まだ他の授業があったのに気がつくと電車に乗って、家にいた。お風呂にお湯を溜めたあと、急に思い立って近所の本屋に『違国日記』を買いに行ったらなかったのでまた電車に乗って三駅先の本屋まで行き、それと『最高の任務』を手に入れた。たまたま両方叔母と姪の日記ものだ。帰ってお風呂に入りながら読んだ。とても良かったのに、あがってから自分の文章を読んだらあまりに稚拙で全部嫌になった。でも眠れなかった。

先日、ずっとやってみたかったツイキャスをやってみたら思いの外楽しかったというか、しゃべらないと出てこない言葉もあるということに気がついて、自分で自分の言ったことが不思議だった。自分で自分の声を聞くのはもっと気持ちの悪いことだと思っていたのに、しっかり最初から最後まで録音を聞いてしまった。へんな自己愛かもしれない。喋る相手がいなくても一人で喋っていたら誰かが聞いてくれるインターネットが好きになった。たぶんわたしはいつも喋る相手のことを気にしすぎてあまり喋れないのだと思う、こんな話をしても分かってもらえないだろう、とかつまらないだろう、とか、つまり他人に対する諦念が底にあって、だからこそ、そうではない小説や作品に憧れる。そこに評価があると高いものを望んでしまう自分の真面目な退屈さに本当に嫌気がさすし、もっと飄々といろいろなものを流したり通り過ぎたりしたい。

字数設定というものは不思議で、それをとにかく超えたらいいような気がしてしまう。全然内容はないのに。昔の日記は今よりも短いので、長く書けるようになってきたのかもしれないが、だらだらと引き延ばすように言葉を埋めているだけなのかもしれない。こんなふうに。

 

ここまでが一昨日と昨日の記述。

 

今日は論述テストをひとつ受けるためだけに大学に行った。なにかひとつ詩を選んで論じるというもので、マラルメの「扇」について論じるためにランシエールを読んだけど、ふつうに面白かった。違国日記の②③を買った。帰りの電車で読んだら泣いてしまうのであわてて閉じた。つめたくくらい天気だ。青葉市子のあたらしい曲を聴いた。こんどユリイカで特集が出るらしい、ライブに行ってみたいかもしれない。さいきんはアマゾンで買い物をすることは出来るだけ控えてるけど、洋書はやむをえず。しかし三冊同時に買うとなんかポイントがつくらしいのであと二冊も買う。夏にはまだ隙間のあった本棚がもうぎゅうぎゅうである。

 

違国日記がすごい。朝のなんでもうっすら親が介入して決められてきた感じがすごくわかってしまう。いまだに髪や服や大きな事柄をひとりで決めることができないし、結局はぜんぶ母親が決めてきた気がしてしまう。それに抗った最初がたぶんセンターから国立の期間にまったく勉強しなかったことで、次がこの間の成人式と前撮りで、親不孝となじられてもやっぱりすこしずつ意識的にあらがっていかなければならない。この漫画もうっかりすすめそうになったけど、踏みとどまる。せめて本や映画は自分だけのものにしなければならない。一方で、槇生の部屋が汚いのとかひとりになりたいところとか厭世的な感じもすごいわかるし、ときどきすっと切れ長の目でみるようなコマでぞくっとする。漫画あまり読まないけどこれは会うべき時に会った感がある。