2021-05-06(安定/透明な)

よく人と喋った日だった。

夢に美味しそうなドーナツ(チャイ味とオランジェット味)が出てくる。家にたまたまポンデリングもどきみたいなドーナツがあったので食べようとするも、衝撃的に不味く、ひとかけでなげだす。
Amazonほしい物リストから誰かが贈ってくれたヴェイユの『工場日記』が届いている。どこのだれかもわからない人に対して本やぬいぐるみを贈ってくれた人が四人(一人で複数もありえるけど)もいて、しかも誰が贈ってくれたかわからないからお礼もできなくて、自分でリスト作ってリンク貼ってるんだけど、すごいシステムだ。本当にありがとうございます。

エージェントのひとから電話。無事に内定をひとつ得て、とりあえず来年行くところができたのでほっとする。まわりのひとも喜んでくれて嬉しい。

木曜日の授業はどれも重たい。

「囚われの女」の冒頭部と、眠っているアルベルチーヌを眺める場面の読解。diaphaneという単語が透明なのか、半透明なのかの議論をする。肌が透ける様とか、水の形容にも使うみたい。プルーストは適当にどのページを読んでも美しい。結局囚われの女でとまっていて、完読はしていないのだけれど、完読にそんなに意味はないような気がする。

つぎの時間はいつもほぼ雑談。テクストだけを読み込む、いわゆるテクスト論的なやり方とと、作者や時代背景までも読み込むやり方と、結局両方やらなくちゃ文学研究としてだめ、という話をする。スタロバンスキー(のルソー論)を読め、と言われた。メランコリー論も書いているらしいので気になる。

つぎはいちばん好きな先生の授業。今日は若竹千佐子の「おらおらでひとりいぐも」を読む。ポリフォニー的他者と私(おら)の関係、東北弁/標準語の使い方、など。好きな先生のこと本当に好きだなあとこの三年間授業を取り続け、思い続けている。

私は私を理解して欲しいと思う人にちゃんと理解されていて、それはすごく幸福なことだと思う。