2020-11-01(世界のみかた/ことばで縫合しきることのない境界)

 

一種のドーピングのようなものなのだ。音楽を聴いていないと手も足も出ない時がある。物理的にも、そして数分をただ息をしてやり過ごすだけのことにさえも。けれど音楽を聴くと、それが鳴っている何分かだけは、息を吹き返すことができる。アザミはときどき、自分はその何分かをおびただしく重ねることによって延命しているだけだと思う時がある。

 

津村記久子『ミュージック・ブレス・ユー!』

 


本を読むことは他人の目で世界を見ることで、映画を観ることはまるごとちがう世界に行くことで、音楽を聴くことは世界とじかに繋がること。

 

 

 

ハミングは音の響きとして繰り返される。リトルネロ、夢というものが意識が回収しきれずにいる綻んだ苦しみをすっぽりと覆い尽くすものであるのと変わらずに、ことばで縫合しきることのない境界をさすり続ける。語られうることばとはすべて暴力的な音楽であって、針の先が肌理を突き破らなければ傷口を縫い合わせることができないように、そのように絶え間ない不快感を不快感で歌いなおすかのように、書き、語る。

 

八柳李花「音楽と憎しみ**」『Cliché』

 

 

 

「でもね、本当に好きな音楽があればずーっと聴いてたらいいと思うよ」