2020-09-24(晩夏/現在)

彼女は彼を見つめた。今日の彼の髪は白っぽく見えた。彼女から四フィートほどのところにいながら、ほとんどこの場にいないかのようだった。彼は我々が「現在」と呼ぶものに対して自分をどう合わせたらよいのかわからないのだ。そもそも「現在」とは何だろう?「現在」を信じるべきものとして捉えない人々にとっては、そんなもの存在しないのかもしれない。

 

ドン・デリーロ『ボディ・アーティスト』、上岡伸雄訳

 

夏休みが終わってしまう。やろうと思っていたことはほとんどやらず、本を買ったり読んだり労働したりしていただけな気がする。でもそんな高等遊民生活もあとすこしで終わってしまうのかもしれない。急に寒くなってうれしい。小雨の降る曇りの日は本が読みやすい。極度の冷え性なのでもう湯たんぽを使っている。紅茶は三杯以上のんでいる。

 

 

秋の授業は翻訳するものをたくさんとった。語学はぜんぜん得意ではないけれど、外国語を日本語に直していく作業はわりと好きだ。無心でできるし。卒論計画書も提出した。このアウトライン通りに書けたらそこそこいいものになるだろうな、と思っているもののどこまでかけるのだろうか。まあ大風呂敷を広げ過ぎと言われるだろう(しかし指導教員が定まっていないのでそれを言ってくれる人すらいない)。

 

読みたい本がまだまだ存在するということが、私の存在理由にもなっている。