2019-11-24(散漫/卵宇宙)

 

電車の窓に自分の顔が映るとけっこうずっと見てしまい、顔のパーツすべてがコンプレックスだけど他人から見たらさも自分の顔をうっとりと眺めているように見えるかもしれない。雨だった二日間はほとんどベッドすら出ずにどろどろになっていた。長い小説を読む気力もないのでいろんな本を少しずつ読んだ。

  • 平出隆『遊歩のグラフィスム』
  • 金井美恵子『ピースオブケーキとトゥワイストールドテールズ』
  • 金井美恵子詩集』
  • 『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ パート2』
  • 伊藤亜紗ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』
  • 仙田学『盗まれた遺書』
  • 中上健次『十九歳の地図』
  • 高柳誠『高柳誠集成Ⅰ』

読みかけの本が全部単行本だったから、今日外に出るときはボルヘスを読んでいた。

高柳誠は、なんとなく字面は見たことがあるけど全然知らないというときに、青山ブックセンターの夏の選書フェアで柴田元幸が推していたので、そこではじめて本を開き、大学図書館にあることを確認して(よく知らない著者の本を買うということがあまりできない性格である)そのままにしてあったのを、ようやく借りてきて読んでいるところで、結局これは手元に置いておきたいと思う類の本だった。で、今日寄った古本屋にⅡ巻があったので買った。幻想文学と一口に言ってもいろいろあるけど、物語性と言葉への距離のとりかた(なんて言えばいいのかな、書くことへの自覚の度合いみたいなもの、雑にいうと自己言及性・メタ性)がいいバランスのものが良いと思っているので、高柳のはそこがよかったんだと思う。

卵宇宙について語ることの困難さは、つまるところ、卵宇宙では無効であるあなたたちの言語によってわたしたちが語ろうとしていることに尽きる。その無効性を知りつつ、あえてあなたたちの言語を手段として、卵宇宙を存在せしめようとするのは、わたしたちが卵宇宙に紛れ込んだあなたたちに他ならないからである。
わたしたちとあなたたちの間の、言語では測り得ない距離を思うと、わたしたちは気が遠くなる。実は、それは、距離でさえありはしないのだ。わたしたちは、あなたたちのすぐ傍にいる。ときには、わたしたちはそのままあなたたちですらある。しかし、あなたたちは卵宇宙の存在を無視する。あなたたちがわたしたちに他ならないという事実に対する理解を頑に拒んでいる。
こうして、卵宇宙はどこにも存在しないがゆえに、どこにでも存在する可能性を持つ。

「卵宇宙/水晶宮/博物誌」より

 

一つの意味体系を作者がわきまえ顔に説明することなく、それ自体魅力にみちた多層的な意味の織物を、象徴と比喩にみちみちた映像の織物を、何の飾りもなく私たちに提出することこそが、この作家の最大の魅力ではないだろうか。

「アダムズ兄弟商会カタログ第23集」より 

  

 

『遊歩のグラフィスム』は正岡子規などについて書かれていて、全然馴染みがない内容だけれど、子規庵に行こうとして鶯谷でいっしゅんラブホ街に迷い込んだという描写があって、私もこの間同じ感じで迷った(11/02の日記参照)ので思わぬ繋がりだった。