2020-09-20(野生の探偵/雪の断章)

 

ホアキン・フォント 一九九七年一月、メキシコDF郊外、ロス・レオネス砂漠道、〈エル・レポソ〉精神科診療所。

退屈な時に読む本というものがある。それはたくさんある。心静かなときに読む本というのもある。そういうのが最良の本だと私は思う。悲しいときに読む本もある。嬉しいときに読む本もある。何かを知りたくてうずうずしているときに読む本もある。絶望しているときに読む本もある。この最後の種類の文学をウリセス・リマとベラーノはやりたがった。それは大きな間違いだった。そのことをこれから説明してみせよう。〔…〕

 

 

一週間くらいかけて『野生の探偵たち』を読んでいた。こんなに長いのに(2666はもっと長いが)、まだまだずっと読んでいたくなるような小説だった。アルトゥーロ・ベラーノがやたらモテるので、まわりの女友達たちの証言が面白くて好きだったな。はらわたリアリストに、おれもなりたい。

 


卒論計画書書くにあたって借りていた本(しかしMBAとかを目指す人のためのものだったらしく、まったく参考にならなかった)に予約が入っていたので図書館に返しにいく。ついでにウィリアム・トレバーを借りようと貸出機のまえまで行ったところで、カードがないことに気がつき、うなだれて本棚に戻す。かなしかったので近くの本屋に行く。佐々木丸美の『雪の断章』を買う。この本の存在はたぶん結構前から知ってたのになぜか手に取らなくて、去年早稲田松竹相米慎二の映画がレイトショーにかかったとき、雪の断章って聞いたことある気がする…とおもったけど結局スルーしちゃって、で、桜庭一樹読書日記で、この本がみなしご文学の傑作であり、映画化されていることを知って、ようやく手に取ったのだった。帰宅し、鞄のなかから図書館のカードが出てきて脱力。

 


お風呂で読みはじめた。巻かれていた帯に「長いけど一晩で読んじゃいます!」って書いてあって嫌な帯だなと思ったけど、たしかにぐいぐい読んでしまい、結局4時くらいまで300ページくらい読んで、寝て、起きて、最後まで読んだ。少女漫画30巻分を圧縮したような展開のしかたで、『キャンディ・キャンディ』のことを思い出したりした。でも飛鳥は根本的に誰も信用しておらず、「天真爛漫なヒロイン」像からはかけ離れている。でもきっともっと若いときに読んでいたらもっとのめり込んだだろう。こう考えることがすでにかなしい。

 

「飛鳥、自分だけが苦労して来たとひがむのは止してちょうだい。苦しみは誰にも理解できないなんて思い上がりだし、そんなジメジメした生き方はナンセンスよ。自分自身で特異な境遇を哀れみ、まるでそのために他人より勝っているかのように信じ込んでしまったのね。思い出すのも身震いする過去が実は宝物になってしまったのよ。毎日こっそりながめて、私は薄幸の少女だなんて涙を浮かべていたのでしょう。およしなさいよ、そんな滑稽なこと、私の気持が口先だけの同情だというなら飛鳥はどうなの。心を開く以前に順子には理解できないとつまはじきするのは侮辱じゃない。そのくせ平気で友人風を吹かせていたのね。少なくとも私はそんな裏切り方はしていない」

 

ロマンチックラブイデオロギーであることに変わりはないけれど、飛鳥の周りの女性がみな強く、こんなふうに飛鳥のひねくれかたを真っ直ぐにうけとめて関わっているところがよかった。


読み終え、余ってた菓子パンを食べてから外に出る。何冊か古本を買ってから(アンナ・カヴァンの単行本が手に入った)、アニエス・ヴァルダの『ラ・ポワント・クールト』と『落穂拾い』を観た。精神分析家のジャン・ラプランシュがブドウ農家でもあることを知った(でもウィキを見たら精神分析の項目よりブドウ農家の記述が長かった)。帰りの電車でこれを書いた。今日の夜はたぶんジョン・ディクスン・カーの『死が二人をわかつまで』を読む。