2020-03-21(犬/映画の細い女)

 

 

 

 

家に誰もいないので今日は静かに過ごせると思っていたのに、隣の家が石を削るような工事をしていたのでうるさくて外に出る。でも良い天気だ。さいきんまた徒歩圏内の図書館のカードを登録し直した。小五〜中二くらいのときにはよく利用していたのに、中三は勉強で、高校は部活と行事で忙しかったのですっかり足が遠ざかっていた。この時期にあまり本を読めなかったことを少し後悔しているが、本を読むよりやりたいことがあったのでしょうがない。しかし読む本の種類が変わってから来てみると、小さい図書館ながら買えないけど読みたいと思っていたような本がいくつかあったので嬉しい。四冊ほど借りる。外のベンチで堀江敏幸の『彼女のいる背表紙』をぱらぱらと読んでいると、ヴァージニア・ウルフの『ある犬の伝記』について、「犬好きではなく犬になりたい人によって書かれた本」とあって、あ、と思う。松浦理英子の『犬身』はおそらくこの本を念頭に置いているにちがいない。『犬身』に関する書評や評論は可能な限りすべて目を通したはずだが、これに触れているものはなかった。朱尾は狼=ウルフなのかもしれない。

 


保坂和志の『小説の自由』も借りた。小津の映画と彼がよく読んだ小説についての記述があった。タイミングがいい。

東京物語』へのオマージュだという侯孝賢の『珈琲時光』(なんていいタイトルなんだろう)に出てくる一青窈があまりに細いのでまた落ち込みかけたけれど、いい映画だったので大丈夫だった。さいきんの邦画は女性が針金みたいに細いことが多くて、肉のない二の腕や太ももばかりをみてしまう。バイト先にいる細い人もずっとみてしまう。わたしは標準体重に照らせばべつに太っているわけではないが、この愚鈍な腰回りが嫌で仕方ない。

 

アセクシュアルのコミュニティサイトでは、「ケーキを一緒に食べる」という言い回しがよく使われるらしい。これはなぜかというと、「セックスよりいいものって何?」という一人のメンバーの書き込みに、「ケーキを食べること!」という答えを多くの人がしたことによるらしい。ケーキ食べるほうが断然いいに決まってるじゃん。