2019-08-04(語る/ホットギミック)

 

書きかけのものはたくさんあるのだけれど、いい加減ちゃんと出しておかないと、と思ったのでとりあえず昨日今日のことを書く。

仲のいい同年代の女がいないということがどうしようもなく寂しくて、どうしてこうなってしまったのだろうと考え込んでしまう。高校の部活の同期と大学で会えば楽しく会話をするし、ご飯に誘っても快く行ってくれると思うのだけれど、でもやっぱりどこかでは気を遣うというか、人に気を遣うのは当たり前だけれど、例えば夜泣いてぼろぼろになっている時に電話したりできるかっていったら全くそんなことはなく、悪口とか噂話とか進路のこととかよりももっと切実なことを本当は話したいのに、迷惑なんじゃないかという線引きを勝手にして遠慮したりされたりする。自分の興味関心と全く同じ人がいるとは思わないけれど、好きなものついて「語れる」ような関係にちょっと憧れがあって、私が好きなものについて語れないのは本当は何も好きじゃないからなのか語る力がないのか語る相手を持っていないからなのかわからない。
フェミニズムに興味のある女の後輩」として見られていて、とりたてて差別的な発言を直接投げられるわけじゃなくて、むしろ彼らなりに気を遣っているのだろうということはわかるのだけれど、まあ居心地がいいかと聞かれれば、はいとは言えないなあという感じ。作品に対してどう思うかで、私自身の価値をはかられるのは本当に怖い。怖いけれど私も他人に対してそれをする。

『ホットギミック ガールミーツボーイ』を渋谷の治安の悪いところで観た。山戸結希の作品は乃木坂の「ハルジオンが咲く頃」と『玉城ティナは夢想する』と『溺れるナイフ』と『21世紀の女の子』を観ていて、全部泣いている。最初の三つに関しては、もともと乃木坂も玉城ティナ小松菜奈もすごく好きだったから、山戸結希という人が撮っているということにあまり関心がなかった。だけど、(『21世紀の〜』の最後の)「離ればなれの花々へ」を観たときに、この人は無視しちゃいけない人だと思った。全部泣いたと書いたけれど、たぶん泣いたポイントは違っている。あの扇情的な言葉の重ね方と、それに伴って用いられる音楽と、あまりにも直接的なのでちょっと冷めた目で見たくなってしまう。まともに受け止めていたら身が持たないから。でもあのくらい過剰に戦っていくということを本当は私もやらないといけないのだし、いつまでそうやって逃げるの?って言われている感じがする。ホットギミックに関しては、好きなシーンとあんまりなシーンがきっぱりわかれてしまって、全体としては好きとは言えない、という感じだった。一番良かったのがカラオケで茜がすばるに対して、私はすばるくんのために頑張って大人に、女になろうとしたのにどうして私じゃだめなのって迫った後に、初を呼び出して歌って泣くシーンで、もうあそこだけでいいやって思った。山戸結希の描く女だけの関係がもっとみたい。やっぱり男を入れると純度がどうしても下がって既成のエモーショナルな青春、みたいなものに回収されがちなので(他の作品にすでにそういうのがあるのかしら)。原作を読んでないのでなんとも言えないところだけど、私は少女漫画の主人公が「好意を持たれていることに無自覚で鈍感な女の子」であるとどうしても入り込めない(初はそこらへん、完全に鈍感というわけではなくてむしろお兄ちゃんへの態度はあざとくて良い)のと、いわゆる不器用俺様キャラに対する理解があまりないので、橘との関係をうまく消化できなかった。この間ユリイカで特集組まれていたからそれも読もう。

と、いうような話を直接誰かにできたならいいのにな。