2020-01-03(正月映画/お勉強)

 

 

家に父がいたので生活ペースを乱されていたけれど、外に映画を見に行くことでなんとかやり過ごした。一日に松竹で溝口の二本立てを見て(お正月から空いている映画館のありがたさ)、今日も渋谷のイメージ・フォーラムでアニエス・ヴァルダの『ダゲール街の人々』を見たあと、bunkamuraオリヴィエ・アサイヤスの『イルマ・ヴェップ』を見た。映画館はしごとか実は初めてだったのではないか?もともと渋谷嫌いだけど、イメージ・フォーラムの方向は割と人が少なくてよかったのに、文化村の方はもう人人でうんざりした。映画はどちらもよかったのに、前の客が最悪で後者はあまり見えなかった(ミニ・シアターで図体のでかくてもぞもぞ動くやつは本当にじゃまだ)。でも映画はひたすら受動的な時間だ。あまり苦痛には感じなくなってきたけれど(というかそういう映画を避けられるようになってきた)、ストレスを全く伴わないわけではない。

年末に読もうと思っていた長編小説は一冊も読めてない。

期末レポートは、まあ最終的にはたぶんどうにかなるんだけれど、まだ一つも完成はしていない。相変わらずドゥルーズと、バトラーと、松浦理英子と、金井美恵子と、イリガライあたりを参照している。それに加えて昨日はライプニッツに踏み込まざるをえなくなったので、論文を読んだりしていた。ドゥルーズにしろバトラーにしろ、どちらも過去の哲学者の折衷的なところがあるから参照せざるをえない(まあ便利と言えば便利かも)。大学院に進むつもりは今のところないけれど、調べたりするのは好きだけれど、あまりに書くのが遅いのでもし進んだとしても病みそう、という気はしている。研究者は本当にすごい。数学をやっている人が、数学はスタートもゴールもある程度同じだから、生き残れるのは本当の天才だけ、って言ってて確かにと思ったけれど、哲学も割とそうな気がする。そんなこと言ったら全てかもしれないけれど。

文章の逆説の多さをどう回避したらいいのかがわからない。

今年も本と映画をたくさん、隙間なく摂取すること。ツイッターは程々にすること。人間に振り回されないこと。