2020-05-06(読書会/ベンヤミン/今後)

 

勉強は一人でするものだ、ということには完全に同意するし、実際今まで「放課後友達と集まってファミレス(?ミスド?)で勉強する」などやったことがないし(そんな友達がいなかったんじゃない?という突っ込みは置いといて)、グループワークなんて死ぬほど不毛だと思っている。しかし大学に入ってから、どうやら一つの本をみんなで読むという行為があることを知った、読書会というもの。なぜ私が今まで(同じ学生という立場の)人と勉強したことがないかというと、わからない人同士でなんかしても進展は生まないし、時間の無駄じゃない?と思うからで、まあ実際正誤のはっきりしている高校までの勉強に関してはそうだし、去年半年ほど読書会に参加してみたときも「早く帰りたいなあ」と幾度となく思った。それでも、私は生産的な読書会(勉強会)というものに参加してみたい。どうすれば生産的になるのだろう。

 

ということをずっと考えている。今はオンライン読書会なるものがあり、それだと「早く帰りたい」という問題が解決されるのでいけるかなという気がする。
勉強は一人でするものだ、といってもやっぱり少し教わることは必要で、わたしの大学は日本の中でそこそこ規模が大きくそこそこ偏差値とかはいいはずでそこそこいい教員がいるはずなのに、そもそも取れる授業数が少ないということは結構問題だと思う。週に10コマだよ?少なすぎる(同じ大学の理系学部はもっと多いはず、倍ちかくあるのではなかろうか)。まあ潜ればいいという話だったんだけど、今はそれもできないし。今の日本を見ていると、こんなに教育って蔑ろにされているんだね、ということがよくわかる。もちろん勉強したい人がすればいいんだけど、したい人が思うようにできない、ということはちょっとどうなのかな。まあまず私にできることは、ここに自分の考えたことをできるだけ書いておくことしか思いつかないので、そうしたい。といいつつうんざりするぐらい怠惰を極めているのですが。

 

今読んでいるもの、これから読むもの
ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』浅井健二郎訳
 最初の「認識批判的序章」がいちばん面白かったかもしれない。〈理念〉とモナドの関連とか、Konstellation(星座、配置)はagencementっぽいし、ドゥルーズは絶対これ参照しているでしょ、って思ったけれどどうなんでしょう。檜垣立哉がたぶんそれに関する文章書いていると思うので読みたい。
「すべて悲しみのうちには、言語を発しえない状態へと陥ってゆく傾向が潜んで」(下154頁)いて、それをメランコリーと呼ぶわけですが、フロイトのメランコリーとの関連はあるのかな。あとメランコリーとアレゴリーの関連がいまいち分かっていない。
あと、象形文字と音声(と音楽)の関係についての記述があるんですが、岩波新書が(みすずアンケートで)評判だった柿木伸之の「言語の解体と再生」っていうネットにあった文章では、デリダエクリチュールに引きつけられていて、それはどうなの?と思いました。何でもかんでもフランス現代思想に引きつけるのは本当に良くない(自戒)。とはいえ、その「象形文字」っていうのが本文では古代エジプトの文字などが引き合いに出されてたけれど、ではバロック悲劇ではどうなの?というところがもやもや残る。
わかんないとこだらけで結局理解度2割くらいかもしれない。

 

結城浩数学ガールガロア理論
 全然知識なくてもそれなりについていけるように書かれてあるからやっぱりいい本なのかも。ζという文字を初めて書いた。数学という学問で、そもそもどういうことが問題になっているかも知らなかったけれど、これ読んだりネットを漂ったりしていたらけっこう興味が湧いてきたので、引き続き読んでいきたい。次は『ゲーデル不完全性定理』読む。哲学と近いっぽいので楽しそう。

 

堀江敏幸『その姿の消し方』
 短い間に何回かツイッターで話題に上がっていたので。まだ途中だけど。正直にいうとこの落ち着き払った感じの文章が、わたしにはそこまで響いてこない。まあ舞台がフランスだから仕方ないのかもしれないけれど、ヴァン・ショとか出てくると、最近読んだ『幽界森娘異聞』の、森娘のお洒落お料理に対する「私」の(愛のある)揶揄を思い出してしまう。

 

これから読む予定なのは、フェミニズム関連ではハラウェイの『猿と女とサイボーグ』、クリステヴァの『黒い太陽』(メランコリー論なのでベンヤミン覚えているうちに読みたい)、あとバトラー『アセンブリ』の再読、セジウィックの『クローゼットの認識論』(これも早いとこ読まねば)…と書いていて私は数学なんかやってないでこれらを読まねばならないのでは?という気がひしひしとしていますが、まあ知りたい&やっていて楽しいことをやりたい。フェミニズムは知りたいけどやっていて楽しくはないというところが、やっぱり自分にはそれに注力するのは向いていないなあと思う。