2020-01-14(悪習慣/最愛の子ども)

 

 

世の中は成人式らしかった。

 

 

まだまだやるべきことはあるけれど、家にいてもなにもせずに終わるだけかもしれないし、しいたけ占いが、みずがめ座は家にこもってるのが好きですが、今年のみずがめ座は外に出る準備が整ってます!と言っていたので、じゃあ出ようかな、でも映画しか行くとこないな、パラサイト見ようかな、あもう埋まってる、寺山修司二本立て?でも疲れそうだしあんまり好きではなさそう、でもとりあえず着替えて化粧して、新宿に行くところまではできて、ルピシアで紅茶買って、メルヘンのサンドイッチ食べたかったけど我慢して、紀伊國屋行って、あー買いたいけどまだ積読いっぱいあるしね、となにも買わずに出て、映画のチケット列並ぶとこまできて、なんかやっぱりいいやってなって引き返してまっすぐ家に帰ったのだった。ぜんぜん外に出る準備整ってなかった。家にいるとたしかにごろごろして終わる日もあるけど、なんにもしてないかというとべつにずっと寝てるわけでもないし家にいたければ家にいたらいい。おととい夏ぶりに歌いに行ったけどあんまり楽しくなくて、家に帰って本読みたいとずっと思ってた。わかってたことだけど音楽は一度やめるとなかなか戻っていけなくなる。

 

『最愛の子ども』読み直していたのだけれど、本当に救いの書だ。どうして高校生のうちに松浦理英子に出会えなかったのだろう。そんなのばっかりだ。真汐はわたしだ、とすごく励まされたかもしれない。日夏みたいなひとはいなかったけど。津村記久子との対談で、松浦が「わたしの見聞では、どこか屈折してる人には弟がいる女が多い」みたいなこと言ってて、ああそうなんだ、と納得。姉妹だったら話し相手がいていいなとずっと思ってて(江國香織にしろ金井美恵子にしろ松浦理英子にしろみんな姉妹なのだ)、母の愛情を弟に奪われていると実感したことはそんなにないけれど、もし弟がわたしより頭が良かったらもっと悪かったかもしれないから、勉強ができて本当に良かったと思う。

ただわたしがどうしようもなく屈折しているということだけはたしか。

 

ウルフの『オーランドー』は一年のときレポート書いたけど、書きなおすつもりでちゃんと読んで書くことができて良かった。ころころ場面が変わるのでぼーっとしてると置いてかれるような語り口だけれど、やっぱりウルフはすごい。ウルフ全集もう一度出ないかな。個人全集ってひとつも持ってないけれど、手元に置くならヴァレリーやウルフがいい。

 

吉祥寺の近江屋がなくなったり京都のジュンク堂がなくなったり早稲田のシャノアールがなくなったりするけど、どれにも思い入れがなくてよかったと思う。いつかなくなるかもしれないものを気に入らない方がいい。いつか猫を飼いたいけれど、死んだときに自分も死ぬ気がするからこわいな。

 

ここまでを昨日書いた。

 

社会不適合というかなんでわたしはこんないつのまに一人に?って、昨日ラインにあげられる高校の同級生の写真をみてて思ったけど、わたしは目的のない集まりが無理というだけで、べつに働けてるし部活できてたし、そんなに卑屈になるようなことでもない。いまやりたくないことはやらない。まあ話し相手がいないのは寂しいけど、ツイッターあるし。着物着なかったから親不孝みたいな感じだされるけど、成人式で女だけ着物着て写真とると親孝行になるっていう風習つくったのまじで誰。わたしは見せ物ではない。