「距離ってありがたいものだよ」
「そうか……」
「たぶん、そろそろ行かなきゃ。せっかく来てくれたのに、私ばっかり話しちゃったね」
「いいよ。正直俺、ここで何話していいか全く判らなかったし。今の話、ちょっと面白かったよ。ふふ、まさかここで怪談を聞かされるとはね」
「良かった。この話、憶えておけそう?」
「そりゃもう忘れられなさそうだよ」
「良かった。だとしたら私のことも一緒に憶えておけるよね」
笑いながら毛利樽歩が僕を見つめている。
僕は頷く。
「そうだな。……たぶん、毛利のことは俺、いろいろ忘れられないよ」
すると毛利はふふんと笑って言う。「そうなるように仕向けているからね。努力も半分あるよ?」
「……そうなの?」
「な〜んかね。あんたといるとそういうふうに頑張っちゃうのよ私。あはは」
「へえ……」と言いながら、また僕は聞き流そうとする。「おかげで楽しいよ」
「ふふ。あのね、思い出とかお話とかって、結局心を揺さぶられてないと思い出せないのよ。言葉とか、風景とかもそうだね。どんなことも、単に記憶はできても、自分では取り出すことができない。思い出せるのは、心の揺さぶられたものだけ」
「……じゃあ、俺は結構、毛利には揺さぶられてるのか、な」
「私としてはね、揺さぶらなくても憶えてもらえるような女の子になりたかったよ」
舞城王太郎「美味しいシャワーヘッド」『キミトピア』
好きな人は会った最初のときから別の女性の方を向いており、私はせめて憶えてもらえるような女の子になりたくて心を揺さぶろうとしていた。
2/4に私は「ジェンダーロールには反発的なくせに異性愛をやることってほぼできないと思っているので茅野はもう孤独に生きるのです」とツイートした。私は女性としてのジェンダーに対してアンビバレンスな気持ちを抱え続けていて、人から向けられる都合の良い期待には反発的でありながら、人に愛されるために積極的に利用していることがあるのを自覚している。ツイートは反発的なくせに、と書いているがそれだけではなく、期待されている役割を遂行することや、欲望を向けられたり向けたりすることもそれなりにできてしまうということが、私の抱える矛盾、田中美津の語彙でいえばとり乱しとして存在しており、そのために無批判に異性愛を享受することはほとんどできない、と思っている。ほぼ・ほとんどできない、と書いたのは、こうしたアンビバレンスをわかった上で、それでもあえて異性愛的な関係を選ぶということがありうるかもしれない、とも思っていたからだ。上野千鶴子があんなに婚姻制度のアンチだったのに実はその制度の利用者だった、という騒がれ方をしていて、彼女がどういう人生を歩むのかはどうでもよいことだが、その矛盾のありようは多少自分のこととしてわかると思った(まあ上野の場合、身体の性的使用を独占するなんておぞましいから結婚しないみたいに言ってて、年齢的にそれが問題でなくなったから結婚しただけなのであれば矛盾とはいわないだろうが)。規範や制度に批判的でありながら、しかし結果として自らの行動がそれに則ってしまうということのどうしようもなさに私は向き合い続けなければならない。
結局、私は2/18にこんなツイートをした。「人を待ってるときに「おねえさん待ち合わせっすか?誰待ってるんすか?彼氏すか?」と声をかけられ、どうですかね〜と答えてたが、帰る頃には彼氏と名指してよくなったのであのナンパの人にいま一番報告したいかもしれない」。2/4時点では付き合ったりする可能性はないだろうと諦めていた人が急にこちらを見て、結果として付き合うことになったのだった。彼の心境の変化は私の書くところではないが、その過程には上記のような異性愛に対して互いが抱える問題意識とアンビバレンスに関する、長い手紙と話し合いがあった。すべてのことがすんなりとわかりあえるわけはないだろうということももちろん承知した上で、言葉を尽くして相手と向き合ったから、今いるところにたどり着いた。今後どうなっていくのかはわからないけれど、本当のことを語りあった末の出口なしの地点(cf.1/16のエントリ)に恐れをもちつつ、しかしその恐れはきっとわたしたちの言葉をつくる糧になるはずだ。
あたらしい言葉を産もうわん♡にゃん♡からでいいわたしたちの言葉を/初谷むい
ものわかりのいい木になんてならないでどんな雨にも眼をひらいてて/大森静佳
「笛田君の話からすると、やっぱりその井上さんは自分の声が他人には聞こえないと思い込んでいたようね」
「それほどとは」
「あーって言ったのはその確認、前の席の笛田くんを的にして。そして笛田君はそれを無視しつづけた」
「それじゃあ」
「仕方ないわ、笛田君だもの。でもそのせいで井上さんは言葉が通じるという基本ルールに疑問を持ってしまった」
「そんな事が」
「よくある事よ。ちょっとしたきっかけでね、私もそうだった。言葉でものごとを伝えられるなんてもともと錯覚でしょ、無神経な人達がそれを忘れて使っているだけ」
「ぼくと児玉さんも?」
「もちろん伝わってないわ。文学部ならそのくらい分かっていてくれないと。一度そのことを意識してしまったら言葉は使うものではなく観察の対象にかわり、あけてはいけないフタまであけて、ことばの正体をみてしまう。井上さんのノートの中、バラバラになった言葉の標本みたいだったでしょう。ある意味で彼女は詩の本質に近づいていた、素質があったのね…でも、それじゃあもうお友達とふつうのおしゃべりは出来ない、かみ合わないから。見ている言葉がちがいすぎて、時間も景色も自分の気持ちも言葉としてしか考えられなくなって。——文学少女の完成。でもそんなのさびしすぎるでしょう、笛田君は貸し出せないし。だから他の文学少女は私が殺す。文学少女になる前に。今回は自分で手を下さなかったけど」
「…さすが児玉さん」
「意味わかってないでしょ」
三島芳治『児玉まりあ文学集成2』、第十四話「ポエトリーインフローフレーズ」