2020-09-06(とるにたらないもの/甘やかな)


きのう、生活必需品を買うのが苦手だと書いたが、逆に、あってもなくてもいいものを買うのは好きだ。必要以上のマーカーペン(さいきんはぜんぜん蛍光色でないものがたくさん売っている)、マスキングテープ、マニキュア、おやつ(とくに個包装のがたくさんはいってるやつ)、ジャム、ハンドクリームなど。本は必需品と呼べるほどの読書家ではないが、あってもなくてもいいものではない気もするのでむずかしい。

 

この趣味は、「とるにたらないものもの」の精神だ、と思い当たって、江國香織の『とるにたらないものもの』というエッセイを読もうと棚を探すと無くて驚いた。どこかに埋れている可能性も無くはないが、一応持っているすべての本を登録してある蔵書リストを検索してもなかったので、ないのだろう。近くの書店に買い求め(ついでに他4冊も)、お風呂のなかで読んだ。20年の人生でもっとも長い間読んでいる作家なので、生活や日常的に発する言葉の細部に影響があるのだろうが、このお風呂で本を読むという習慣はまぎれもなく彼女からきている。

 

10代後半〜30代はじめの女性の江國香織の本を持ってる率はめちゃくちゃ高いとおもう。たぶん、年に20冊とかあんまり読まないような人でも持っているとおもう。ツイッターで、「江國香織の真似に失敗して必然性のない甘い単語が頻出するいびつな短文を書くようになってしまった女たち」がいるという表現をしている人がいて、激しくうなずいた。ひらがなのひらき方とか、「甘やかな」とか「ささやかな」とか独特の形容詞の使い方にあらわれる。おそらく私もそういう書き方をしているところがあるだろう。文体模写はつねに劣化版にしかならない。

それで、お風呂のなかで読んで、うわ、いかにも江國香織だ〜とおもったところをいくつか引用します。

 

小さな鞄を持つのは男性と一緒のときだけと決めていた。そういうときには本も傘もチョコレートもいらないからだ。そういう外出もたのしかった。
でも、それは特別な場合、甘やかな依存外出の場合だ。私にとって依存は恐怖だったので、要るものはみんな持ってます、ええ勿論自分で持てます、大丈夫、おかまいなく、というのが普段のスタンスだった。

(依存外出に本当は傍点。「小さな甘やかな鞄」というのが江國的である)

 

フレンチトーストを食べると思いだす恋がある。私はその恋に、それはそれは夢中だった。それはそれは日々愉しく、それはそれは羽目を外した。

(この「愉しい」という形容詞が、まさしく)

 

私はびっくりしてしまった。人は(たとえ一緒に暮らしていても)、なんて違う考え方をするのだろう。
「避けられないのは傷の方よ。いきなりくるんだもの」
私は主張する。
「生活していれば、どうしたって傷つくのよ。壁も床も、あなたも私も」
主張しながら、なんだかかなしくかってしまった。

(この最後の台詞、小説すぎる)