2020-02-19(SUQQUの女/女の本/モロイ)

 

 


フェミニズムに出会う」という表現がよくわからない。考えていることが「フェミニズム」と名付けられていた、ならわかる。「どんなにミスがあろうとわたしはアクティビストを絶対的に支持する、わたしにはかけらもないその膂力を」という瀬戸夏子の言葉を引用してしまうわたしの膂力のなさよ。わたしははんぱSUQQUの女である。

 

 

 

 


以下読んだ本メモ。

 


倉橋由美子『暗い旅』

 サルトルだのカントだのでてくるが、ここまで突き抜けたスノビズムであれば鼻につかない。こじらせ文学少女の恋愛はこうでなくちゃね。『聖少女』でも、「愛する」と書くか「あいする」と書くかでちがうみたいな議論があった気がするけれど、本作ではaimerするとかembrasserするとかいう表現もでてくる。ちょうど二月の上旬の話だった。京都に行きたいとときどき思うのだが、宿や交通手段のことを考えると面倒になってやめてしまう。わたしも《第二つばめ》で行きたいな。

 


●リュス・イリガライ『ひとつではない女の性』棚沢直子ほか訳

 とりあえず通読した。硬い男根言語中心主義の精神分析理論や言説において、女の欲望は「ペニス羨望」などと言われ、女が男の鏡や陰画や商品とされてきたことを告発すること。また、女のもつ「流体」や「ふたつの唇」がそれに対抗しうること。最後の二編なんかはかなり元気が出る。

女たちよ、もう何の努力もしないで。あなたは、自分が、ひとりの男の、あるいは男たちすべての、私有財産か公有財産であると教えられてきた。家族の、部族の、時に共和国である国家の財産であると。それがあなたの喜びであると。ひとりの男の、または、すべての男たちの欲望に従わなければ、快楽を知ることはないのだと。快楽はあなたにとって常に苦痛に結びついているが、それがあなたの自然なのだと。自然に従わなければ、あなたは不幸になってしまうと。

しかし、あなたの自然は、奇妙なことに、常に男たちによってのみ定義されてきたのだ。男はあなたの永遠の教師だった。社会科学、宗教学、性科学においても。あなたの道徳の先生であり悪徳の先生だった。あなたが何か言い始めるまえに、あなたの欲求、欲望を教えてくれたのは男である。

 

●サミュエル・ベケット『モロイ』宇野邦一

 読まなきゃ読まなきゃと思いつづけていたがようやく読んだ。すごいのはやはり第一部なのだろうけど、第二部になってから急に読むスピードはあがった。

サミュエル・ベケットの書物においては、誰が語っているのか?一見いつでも同じことを語っているように見えるあの疲れることを知らぬ「私」は、いったい何者なのか?彼は、どこへ立戻って来ようと思っているのか?作者はたしかにどこかにいるはずなのだが、いったい彼は何を希望しているのか?読んでいるこのわれわれは、何を希望しているのか?(略)人々は、この言葉がとどまることに耐ええないのであって、それというのも、とどまった場合、この言葉は語っていないときにもなお語っており、途絶えたときにも執拗に続いている、というおそろしい発見をしなければならぬと思われるからだ。しかもその執拗に続く言葉は、沈黙した言葉ではない。なぜなら、そのなかでは、沈黙が永遠に己を語っているからだ。 

 

モーリス・ブランショ『来るべき書物』粟津則雄訳