2020-02-24(失われた時/バニラ)

 

ところで本を読んでいるときの意識は、私自身の内部の最も深いところに隠されている渇望から、目の前の庭のはずれで視界を限られたおよそ外的なものの姿にいたるまで、さまざまな状態を同時にくり広げるのであるが、その状態によって彩られる一種のスクリーンのなかでまず私にとって最も親密なもの、常に活動しながら残りのすべてを支配するハンドルのようなものは、読んでいる本の哲学的な豊かさと美しさとに対する信頼であり、またそれがどんな本であれ、その哲学的な豊かさとその本の美しさとをわが物にしようとする願いであった。

 

 マルセル・プルースト失われた時を求めて スワン家の方へ1』鈴木道彦訳、集英社ヘリテージシリーズ、2006年、186頁

 

プルーストは身構えていたほど読みづらくなく、春休み中に半分くらいはいけるのではないかと思ってしまう。一巻を終えた時点では皆そのように思うのだろう。『ドゥルーズ・キーワード89』に収められている「〈失われた時を求めて〉の統一性」を読む。今はドゥルーズからは身を引き剥がしたいのに、あちこちで名前が出てくるのでつい読んでしまい、読むと面白いので悔しい。

 

ミハイル・バフチン『小説の言葉』は期待していたほどの議論ではなく、飽きて最後の方は読み飛ばしてしまった。社会のラズノレーチェ(言語的多様性)が小説において描写され、小説内の「対話」としてあるということは、ある意味反テクスト論でもあるだろう。小説を語るとき、わたしはまだできるだけ小説内にとどまりたいと思う。しかし小説内の現実とはなんなのか。のちのポスコロ、フェミニズム批評との関連はどうなっているのだろう。

 

長らく、というかもしかしたら生まれてからずっと、恋愛感情をもつということがないのに、aikoを聴く(今も流しながら書いている)。本当にいい曲が多くて、多くの人がそうしているであろう歌詞に共感するということがほとんどできないにもかかわらず、口ずさんでしまう。今は曲や小説ごしの人間にしか会いたくない。ラインの返信ができない。

LABORATORIO OLFATTIVOのヴァネラがとても良い香りで好きだ。「ブラックバニラ、予測不能な香りの衝突。辛さと甘さの対立する要素が交差する緊張と緩和の連続は、従来のバニラの常識を揺るがす香りの衝撃。アンバランスな魅惑を放つドライでビターな香りがあなたの心と魂を征服する」と書いてある。
NOTE:
トップ|ベルガモット、カルダモン、四川胡椒、ピンクペッパーCO2
ボディ|サンダルウッド、カシミアウッド、シナモン
ベース|バニラアブソリュート、カルマウッド、ティンバーシルク、アンバー、ムスク
好きな香りと似合う香りが一致しているのかはわからないが、好きな香りを纏うのは気持ちの良いこと。

 

ベルンハルトの「破滅者」を読み始めたが、すこぶる面白い。芋づる式読書マップを書くとしたら、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』と繋ぐな、などと考える。

田舎の教師の子供に関してはいつも、あの子は才能があるなどと言われる。しかもそれは音楽の才能であることが多い。だが、ほんとうはまったくなんの才能もないのである。それらの子供たちはすべて、つねに徹底して才能がない。


 トーマス・ベルンハルト『破滅者』岩下眞好訳、みすず書房、2019年、168頁

 へんに音楽の才能がなくてよかった、趣味で終えられるくらいのものでよかった。