セクシャルマイノリティーや障害者を、差別しないために、まずは正しい知識を得ることが大切です。と、言う人は多い。「教養のための」みたいな枕詞がついたセクシャルマイノリティー関連の本はたくさんある。授業で、「差別しないためにはどうすればいいか?」という問いを立てられれば、「知ること」という結論になりがちである。もちろん、まずは興味を持って知ることからはじまるのかもしれない。
しかし、マイノリティーの人たちは「知識の対象」なのだろうか。知の対象にするということは、つよい主体(マジョリティー)と客体という構図を強化するのではないか。そんなことをもやっと考えていたのだが、岡真里『彼女の「正しい」名前とはなにか』はそれに誠実に向き合った本だった。他者を表象するときに生じる構造的な暴力に無自覚ではいけない。知識を得ることは征服することと同じだ。
頑張って書いた『差異と反復』についてのレポートが認められて嬉しい。まさにこれが知識を得ることの優越感に浸っている状態。独創的な発想を求められるのは苦手だけれど、地道に好きな本を読んでいけばちゃんとたどり着きたいところに行ける気がする。