2020-06-23(引用/独房)

テキストを「変形する」にはテキストに自分から何かを付け加える必要はない。テキストを引用する、つまりテキストを切り取るだけで十分なのだ。

 

ロラン・バルト『批評と真実』保苅瑞穂訳

 


夜(さいきんは2、3時)寝る前に読んで付箋を貼り付けていたところを、朝(10、11時)起きて引用すると、なんとなくいい気分になる。バルトにお墨付きをもらったところで(この訳者、テクストって言わないのね)、今日もぱちぱちキーボードを打った。音楽を流しながら読書することはできないけれど、引用することはできる。

 


どういうわけか、今夜の彼からは淡々とした話振りの底に熱い情熱が間歇的に迸って、動揺し勝ちの歳子をしばしば動揺さした。そして彼は頻りに恋愛の話をしたがった。昔語りでも嘘でもロマンスの性質を帯びれば、それがすべて現実に思えるような水色の月が冴えた真夜中になりかけていた。彼は恋愛を愛するが、しかし情熱の表現の仕方については、こういう風変りなことを云った。

「——肉体も精神も感覚を通して溶け合って、死のような強い力で恍惚の三昧に牽き入れられるあの生物の習性に従う性の祭壇に上って、まるまる情慾の犠牲になることも悪くはありませんが——しかし、ちょっと気を外らしてみるときに、なんだか醜い努力のような気がします。しかも刹那に人間の魂の無限性を消散してしまって、生の余韻を失くしてしまったような惜しい気持ちがしますね。僕はそれよりも健康で精力に弾ち切れそうな肉体を二つ野の上に並べて、枝の鳥のように口笛を吹きかわすだけで、充分愛の世界に安住出来るほど徹底して理解し合った男性と女性とでありたく思うのです」

微風が草の露を払う。気流の循環する加減か遠い百合の畑からの匂いに混って、燻臭いにおいがする。歳子が気にすると、それは近所の町の湯屋が夜陰に乗じて煙突の掃除をしているのだと牧瀬はいった。その埃の加減か、または夜気で冷えた加減か池の面には薄く銀灰色の靄が立ち籠めて来て、この濃淡の渦巻は眺める人に幻を突きつけて、記憶に潜在するあらゆる情緒を語れ語れと誘うように見える。

 

岡本かの子「夏の夜の夢」『越年 岡本かの子恋愛小説集』

 

 

ずっと家にいるとはやく家を出たいということしか考えられなくなって、おかしくなりそう。はやく家出たいけどはたらきたくないし、綺麗なお風呂に入りたいし、虫がいたら耐えられない。しぬしかないのかな。

 


「時には、俺だって死んでしまいたいと思うことがあるんだ。ここにあるということも、ここで考えるということも、ひどい冗談だとしか思えなくなる時がある。本を読んだり、考えごとに耽ったり、いろいろな知識を溜め込んで、いろいろな主義主張に魅せられて、いつも慌ただしく駆けずり回っては、そのたびに何か新しいもの、自分にとってはそれと出会えたことが運命だと思えるようなものを見つけてくる。とても素晴らしいことだけど、それが牢獄の壁を破ってくれることはないんだ。いつも独房の模様替えをするだけで終わり、そのうち新しい内装にも飽きてしまい、また西に東に奔走することになる。絶えず新たに家具や壁紙を見つけ直さなくっちゃならないってわけだ。俺が怖いのは、仮に満足のいく文章が書けたとしても、それでも終わりが訪れないってことなんだ」

 

金子薫『アルタッドに捧ぐ』河出書房新社、2014年、109頁