2021-05-04(不覚/残酷さ/無断)

とにかく、思考が連続しない。腹痛や頭痛や腕につくられた痣のことに気を取られたり、ネット空間の有象無象にすぐに脳を預け、そのなかで迷子になってしまったり、私という統覚はすぐに解体をはじめようとする。だから、日々のセーブポイントとして、日記を真面目に書くべきなのかもしれない。

 

マギー・ネルソンの”The art of cruelty”という本の、The situation of meatという章をだらだらと2ページ翻訳。ここまでヴェイユカフカ、ベーコンの話題が出ているが、まだその議論の枠はつかめていない。イエス磔刑という肉の境遇をありありと描写すること、それを見ることで私たちはどのように巻き込まれるか。これを機にヴェイユをちゃんと読みたいと思って、冨原眞弓『シモーヌ・ヴェイユ』を昨日買ってきたけれど、いつ読めるのか。

 

あとは『SFマガジン』に載ってる「無断と土」。いちおう目を通したという程度の読みしかできなかった。いぬのせなか座の仕事はときどき気になっているものの、独特の言語づかいに、文脈のはかりしれなさと若干の内輪感を感じて怖気付いていたが、私の関心でもある〈喩〉について、この作品では比較的わかりやすい説明がなされていたので、もう何度か読んだらもうすこしわかるかも。改行詩を前にしたときの、目がすべるという感覚や、それを声にだしてみると読めたような気がするという感覚も、ここに書かれていたことをとっかかりに考えられそうだった。何度も文字を目で追うという動作と、ゲームの周回プレイの同期。

 

演習の発表のテクストをそろそろ選定すべく、野溝七生子の短編をいくつか読む。『山梔』の阿字子や『女獣心理』の征矢が登場する「緑年」あたりが良いかとも思ったが、結局家父長制への反発という主題に終始してしまいそう(文体への言及ができるといいのだが)なのと、いまのところ『少女領域』しか参考図書がないので、ほかもあたってみる。