2020-10-21(わたしには言葉がある/のらくら)

 


「共有しない」ボタンを押し続けていないとあっという間に他人の発語に乗っ取られてしまう。私は私の言葉をつむげないと最初から知っていたし、そもそも言葉は私と他者を繋ぐためにあるのだから、私の言葉を守りたいと考えることすら無駄なことなのかもしれない。非日本語を日本語に置き換えるとき、私の言葉を使っているという実感がある。

 

わたしには言葉がある、とおもわねば踏めない橋が秋にはあった/大森静佳

 


世界には、物語がたくさんあるのだからそれをできる限り摂取し続けていよう、と、忘れないようにしたい。

 

「おまえのとこの嫁さんがどうすればいいか教えてあげようか」とボヴァリー老夫人はいった。「しっかり働くこと、手仕事をやることさ、世間の女のように食べるためになんとかしなけりゃならんひとなら、あんなふさぎ病はおこりゃしないよ。つまらんことばかし考えるから、暇でのらくらしてるから、おこる病だものね」

「だってあれはいろんなことをしてますよ」とシャルルはこたえる。

「へえ、いろんなことだって!どんなことをだい?小説だとかつまらぬ本を読むのだろ。宗教のことをわるくいったり、ヴォルテールの言ったことなど引いて坊さまを謗ったりするそんな本をさ。でもね、いいかい、こういうことは末はおそろしいよ。宗教をもたない人間きっとさきにいいことはないんだから」そこで、エマに小説は読ませぬようにすることに話がきまった。

 

フローベールボヴァリー夫人』、生島遼一訳、新潮文庫

 


本を読まなければふさぎ病はおこらないのかもしれない。