2020-06-05(ぺらい言葉/良い映画)

忘れるなかれ。私の無知ぶりはチャーミングではない。自然については何も知らないの、とかわい子ちゃんぶって告白するより、花の名前は知っておいたほうがいい。私ってよく道に迷うのと吹聴するより、方向感覚を磨くほうがいい。こういう言いわけは累積すると自慢話になるけど、私には自慢することは何もない。無邪気よりは物知りのほうがいい。もはや娘っ子じゃないんだから。しとやか、従順に相手の選択に委ねるより、決断力があり、意志が強いほうがいい。

——スーザン・ソンタグの日記より

 

ずっとだめな状態がつづいている。深いところに降りてゆけず、うすっぺらな言葉をはなちつづけている。根本的にいまいるところがわたしに向いてない気がする。

 

自粛要請というどう考えても語義矛盾の言葉が、連日聞かされるうちに耳に馴染んでしまったように、誹謗中傷という言葉もまた目や耳を通り過ぎていく言葉になりつつある。言語のパフォーマティヴィティがいい方向に作用することなんて、ほとんどないのかもしれない。

 

 


はじめて休んだバイトの時間で見た、パヴェウ・パヴリフスキの『COLD WAR』が完璧な恋愛映画だった。とにかくセンスがいい。本筋には全く関係がないけれど、度肝を抜かれたのが、幻想即興曲を弾くシーンに続いて、ピアノ音がミシンの音の変拍子みたいなリズムと合わさるところで、これはわざとやっているのだろうか?その後曲は流れたまま、三人の少女が雨の降る夜を大きな窓辺で見ているシーンも本当に美しく、さらにその幻想即興曲の調から自然に、民俗音楽のダンスの曲へと繋がる。この二分くらいのつなぎ方だけでも凄いのに、これが88分(映画は全部90分以内にしてほしい、飽きるから)ずっと続いていく。エンドロールでグールドのゴルドベルク変奏曲(1981年の方)が流れるのも本当にずるい。話はまあメロドラマだけど、わたしはメロドラマが好きだし、ラストが心中というのはこれ以上ない形だと思っているから。傷心の男がピアノを弾いていくうちに狂ってしまうところも好きです。

 

もうはやくぜんぶおわりにしたい、はやくぜんぶおわってほしいと願い続けている。