2020-04-16(アンナ・カヴァン/ピアノの神童/パパ的なもの)

 

今に至るまでずっと抱きつづけているその思い——この世のどんな人のであれ、良識というものにいったいどれほどの意味があるというのだろう。その良識を受け入れたために、私はたいへんな苦しみに耐えなければならない状況に追い込まれたのだ。この苦しみは今も、そしてこれからも続く。いったいいつまで?——この苦しみは、いったいいつまで続くのか?

 

アンナ・カヴァンアサイラム・ピース』山田和子訳、ちくま文庫

 

私は働くために外に出る必要もないし、就活もないしバイトがなくなってしまったくらいで、とても恵まれている方だということはわかっているけれど、それでもストレスはかかる。まあ母親としかと話さない日が一週間以上続くとだいたい疲れてくるのはわかっていたし、今はPMSという災厄のせいにしておこう。こういうときに無心でできる作業は、簡単な計算、写経、和訳くらいで、今日はそれさえも、なんにもできなかった。

岡﨑乾次郎『抽象の力』を本論まで読んだ。この間知ったばかりのポアンカレなどの非ユークリッド平面の話が出てきた(具体的には違う位相空間にあるものを同一平面状に構成したような作品があるそうなのだ)。あとは、奥泉光シューマンの指』がとても面白かった。ピアノの神童ものは面白いものが多い(『蜜蜂と遠雷』しかり、『破滅者』しかり)けれど、これはシューマンへの深い言及がストーリーにちゃんと絡まっていてよかった。そういえば『千のプラトー』中巻の最後はシューマンで締めくくられている。この第11プラトーリトルネロ論はとても好きなのだけれど、あまり論じている人がいない(鈴木泉くらいだと思う)のは、ここはガタリが作ったという部分が大きいからなのだろうか?リトルネロは「永遠回帰」にも語源が共通しているし、けっこう重要なところだと思うんだけどな。バルトもシューマンが好きらしい。『シューマンの指』の主人公の一人、永嶺修人がシューマンの《ダヴィッド同盟舞曲集》について、グレン・グールドはこれを弾けないと思う、というところ

「ここにはたくさんのお話があるでしょ?いろんなところにお話が隠されている。ピアニストはそれを次々と見つけていかなくちゃならないんだけど、グールドって人は、一つのお話しか聴けないんだと思う。というより、自分がお話を作りたいんだよ。彼はお話を作り過ぎる」

というような議論がこの本ではたくさんあるのだが、妙に納得してしまう。

無料公開されていた榛野なな恵papa told me』を15巻くらいまで読んだ。だいたい父娘の物語は私のウィークポイントであることが多いのでちょっと警戒していたけれど好きな漫画で、洋服や小物がとても素敵だった(何巻か忘れたけど、巻末に著者のロンドン旅行記みたいなのがついていてそれがとてもよかった)。ツイッターで「セックスなしで精神的・経済的に庇護してくれる人」を理想化してしまうということを言っている人がいて、私はまさにそれだと思った。セックスなしで精神的・経済的に庇護してくれる人、それです。いるわけないけども。