2020-03-20(単調/無印/小津)

 

 

あまりにも単調で非生産的な日々を過ごしている。食事回数を減らすためできるだけ寝る、食べる、文字を追う、働く、映画見る、ネットを眺めるだけ。さいごの項目は自己嫌悪が溜まるだけなので、最終手段を解禁(パスワードを覚えられないくらい難しくしてそれを書いた紙を封印してログアウト)してみた。昨日一日ツイッター見なかっただけで頭がすっきりした。コストコで親が買ってきたシーフードピザ、寿司、台湾まぜそば、テッシュ箱より大きなモンブランなどを食べ(させられ)て、ずっとお腹が張っていて痛い。

 

待ちに待った無印良品週間になったので、細々した文房具やポットやタンブラーを買った。丸い木のトレーも買うか悩み中。ベッドの柵にクリップで留められる小さなライトも最近買ったので、生活の質がこれで少しは向上するはず。無印の女では決してないけれど、文房具は安くて100均よりはしっかりしてるので好きで、とくにスリムノートという150円くらいのちっちゃなノートを日々のなんでも帳として愛用している。ノートじたいは薄いので気兼ねなく使えて(分厚いと緊張するのはわたしだけだろうか)、中紙は裏抜けしないくらいの厚みがあり、表紙が固く角が丸いので鞄に雑に入れてもぐしゃっとならないのだ。前はMDノートの文庫サイズを使っていたけれど、カバー問題と値段がそこそこするので緊張する問題があって日用ノートとしてはだめだった。引用書き写しノートとしてはたまに使っている。

 

ユーネクストで小津安二郎の映画が結構たくさんみられるのだが、見放題が3月末までらしい(でも2021年3月31日までとも書いてあるので大丈夫なのではないかと思う)ので、取り急ぎという感じで『秋刀魚の味』『東京暮色』『東京物語』を見た。金井美恵子の『道化師の恋』で『秋刀魚の味』のエピソードが登場しているのと、蓮實さんがどうも評価しているらしい、ドゥルーズの『シネマ』でも取り上げられているらしいなどの先入観があってさぞ良いのもなのだろうと思っていたけれど、どうもあんまりたのしめない。「昭和の日常」をみせられると、すみずみまで染み渡った家父長制的な言動や行動が気になってしょうがないのだ。笠智衆ののらりくらりとした喋りにも最初は苛ついてしまったし(慣れたけど)、原節子の気が利きすぎる献身ぶりにも歯痒い思いをする。
しかし『東京物語』ではその気の利きようがあまりに行きすぎていて、むしろそこにすべての人間への諦念のようなものが感じられた。物語終盤で老母が急逝した後、老父の笠智衆とのやりとりの中で、義理の娘である原節子が「とんでもない」という強い否定を発することに、蓮實は「女としての奥ゆかしさとは異質の厳しさ」を読み取っていて、

東京物語の〕真の評価は、原節子のあの性急な「とんでもない」をも受け入れるかたちでなされねばならない。小津の女性たちの振る舞いはしばしば男性のそれよりはるかに大胆なのだが、そのことさえ充分に評価の対象とはなっていないという点で、知られすぎた作家小津安二郎は、いまだ知られざる作家にとどまっている。

と書いていた(『映画狂人最後に笑う』より)。映画的評価云々はわからないが、あそこまでの謙遜と献身は確かに「日本的女性の性質」からは逸するものだった。『東京暮色』の有馬稲子はずーっとむすっとしていて良かったし、もう何作品かもみてみる。それにしても、日本の昭和のおっさんの会話ってこうも白々しくてグロテスクなのか…。あとそういうとき(何か物を取ってもらうときなど)はちゃんとお礼を言って!と思いながらみてる。