2020-03-06(成績/いくつかの映画)

 


不確かな情報ばかりとびかって異常な状況下で滅入っていて落ち着かず、文字を追うことがすこし困難だが、映画は観られる。ユーネクストに観たいのがたくさんあってうれしい悲鳴。最近はベンヤミン関連のものを読んでいてるので、はいはいアウラの凋落ねと思いながらも、映画館でかかる映画は限られているしお金もかかるし、まあ観ないよりは観る方がいいだろう。

 


成績が返ってきて、今までで一番いいので驚く。GPAだけ見れば毎回0.2ずつ上がっているのでなんて真面目なんだろうと思うが、たんに自分に合う授業を選ぶのが上手くなっただけである。成績はただの数字なので、なぜそうなったのかは全くわからず、語句レベルでも、内容レベルでも何かフィードバックがあればいいのにと思う。学問と承認は本当は切り離したいけれど、読者を想定するという作業は必要だろうし、承認が目的になることはいけなくても、応答はほしいと思ってしまう。

小説の分析よりも、哲学思想の解読の方が形式が纏まりやすく書きやすい。来期はおそらく映画論をいくつか書くことになると思う。書いているときはつらくてもなんだかんだ楽しんでいるし、何かを生産している人間として自分に価値があると思えるので、単位に関係がなくても書きたいと思うが、まだそこには至らない。

 


蓮實重彦による映画インタビュー集『光をめぐって』がすこぶる面白かった。なんの予備知識もなくヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』をみたとき、谷川俊太郎の天使ってこんな感じだろうか(「天使のいる構図」とか)と思って、ネットでちょっと調べたところクレー&ベンヤミンが下敷きにあるとされていて、谷川はクレーの詩も書いているからあながち間違いでもなかったなと思っていたのだが、本人によれば天使という題材はリルケからの発想でもあったらしい。両性具有的=天使的なものについては興味があるのでもうちょっと調べたい。蓮實の批評はそこまでちゃんと読んだことがないけれど、テーマ批評という手法はしっくりくるものが多いし、このインタビュー集からもわかるように、作品だけをみて気付くこと(どこをカットしたとか、誰の影響であるとか、作品に共通する描写とか)があまりに鋭いので、インタビューされる側も驚いていることが多くて、単純に凄いな〜と感嘆してしまう。

 


以下最近見た映画メモ

タル・ベーラニーチェの馬

 朝起きて、井戸に水を汲みに行き、父親を着替えさせ、パーリンカを飲み、馬小屋に行き、父親を着替えさせ、ジャガイモを茹でてそのまま食べ、半分以上残し、椅子に座って窓の外を見る、というモーニングルーティーン。風の轟音と失われていく水と光。こういうのこそ大きなスクリーンで見るべきだろうが、間違いなく寝ると思う。

 


ヴィム・ヴェンダースピナ・バウシュ

 ピナの教え子たちが受け継いだダンス。男女の対立、あるいは融合をテーマにしたものが多い気がする。モノレールが走る街中やプールで踊っているのがかっこよかった。ユリイカピナ・バウシュ特集をこの間古本屋で手に入れていたのでそれもいくつか読む。アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』の冒頭、彼女じしんの「カフェ・ミュラー」の一部が見られる。アルモドバルは全部見たいと思っている監督だ。

 


グザヴィエ・ドラン『わたしはロランス』

 フランス語の激しい喧嘩って初めて見た気がするけどなかなかの迫力。いわゆるセクシャル・マイノリティをテーマにしたような映画って音楽に負うところが(まあミュージシャンがアイコンとしてよく親しまれているということが背景にあるとしても)大きすぎる気がしている。中盤の「運命」を流すところはどうかと思った。けれど色彩はおしゃれでかっこいい場面が多いし、丁寧に心情を掬っているので(たとえばセバスティアン・レリオの『ナチュラルウーマン』よりははるかに)よかった。

 


ジャン・ルノワール『ピクニック』

 あの扉窓を開けると、光の中でブランコを漕いでいる少女がみえるというショットが有名なのだろうということや、光や水が美しいことはわかるけれど、人物造詣にかなりクセが強い。娘よりはしゃぎ回り、外で服をはだけて背中を掻いてもらうお母さん、耳が聞こえず子猫を抱いているおばあさん、馬鹿のアナトール、そしてロマンスの相手の男(名前忘れた)は眉毛が繋がっていて下品な細い金のネックレスをしたおじさんである。

 


フィリップ・ガレル『愛の残像』

 ごくありきたりなメロドラマだし、怨霊こわくて笑ってしまったけれど、とにかく美男美女なのでよし。ローラ・スメットはかっこいい。江國香織を少女漫画のかわりに愛読していたものとしては、ガレルは高校生くらいのときにみてたら好きになってたかもしれない。