2019-11-18(レポート/フランス/辛口エッセイ)

 

 

風邪をひいたかもしれない。きのうおとといと夜にグリューワイン(カルディでクリスマスになると売り出す)を飲んだのでまた胃が荒れて喉が痛むのかと思っていたら、鼻もぐずぐずし出し、なんだか微熱もあるようなだるさ。まあバイトを休んだりはしないんだけど。和訳でたまたまセザンヌが出てきて、高一の男子生徒が知らなかったらしいのでセザンヌ豆知識(というか基本知識?)を教えた。デートで使ってほしい。

 

哲学は鏡なのか?みたいな題のレポートが課され、フーコーを読んで、鏡ではなくむしろ襞であると、てきとうにこじつけて書いていた週末。さいきん岩波新書で出た『ミシェル・フーコー』の著者の慎改康之の解説がわかりやすく、また信頼できる研究者を見つけられたので嬉しい。

思っていたよりはやく片付いたので、昨日は日比谷でやっている鹿島茂コレクション、アール・デコの造本展にいった。これぞおフランス♩みたいなときめき空間で存分に楽しみ、ポストカードとクリアファイルを買った(入場料がなんと200円だった)。そういえば小さいときからなぜかフランスっぽいお洒落さに惹かれやすいらしく、ホームズよりルパンを愛読したし、食パンよりバケットだし、ドイツ語よりフランス語の方が好きだなと感じるし、フランス哲学ばっかり触れてるし(これは単にドイツ哲学を知らないだけかも。でもヘーゲルハイデガーはなんとなく嫌)、なんだかんだとフランスなのだった。鹿島茂の本読んだことないけど何か読もうかな。『失われた時をもとめての完読をもとめて』読もうかな。岩波の吉川訳が完結したらしいけど、鈴木訳で読むつもり。なぜなら論文などで参照されているのはだいたい鈴木訳のページ数で書いてあるから。今年度中(今年中ではない)に読めたらいいなと思っている。

 

哲学書は読めるくせに小説を読む気にはならなくて、金井美恵子の痛快悪口エッセイばっかり読んでいる。悪口の言い方ってその人がよく表れる気がして、この人はゆっくり巻きついて獲物を仕留める蛇みたいなやり方をする。だからか読んでいて不快にならず、あーこうすれば効果的なのね、と見事な手捌きを観察しているような感じ。わたしも口が悪いとよく言われる方だが、こんなふうに文章で効果的に批判できるようになりたい(しかしここまで批判できるのは自分のセンスにかなり自信があるからだろうな)。堀江敏幸に関しても「感じやすいおチョボ口」とか言って、政治に鈍感というよりは「繊細」だと書いていて、多和田葉子も彼のことを「風邪ひきポジション」とか言っていたのを思い出す。どこか我関せずみたいな、俯瞰の位置にいるということだろう。(それが裏目に出た件があったが)。堀江敏幸の本は『雪沼とその周辺』しか読んだことないし、『燃焼のための習作』は途中でやめてしまったので、よく知らないといえば知らないが、金井や多和田の言いたいことはよくわかってしまう。まあ昆布だしっぽい文章だから、もうちょっと年取ったら良さがわかるのかもしれない。

 

映画は全然わからないという感じだったけれど、さいきん授業でみたりアマゾンプライムでみたりして、あとはまあ金井美恵子の導きで、楽しめるようになってきた。決まった時間に映画館に行って知らない人に囲まれてみるのが苦手だっただけで、映画じたいは苦手じゃないらしい。ゴダールの『女は女である』がアマプラに入ってて観たけど、超かわいくて良かった。やっぱりフランス(的おしゃれ感)が好きなのかな。