2019-08-28(雨/諦念/栞紐/スキン)

 

 

よわい雨。17:52。サントリーホールの近くのスタバにいる。チャイティーラテにするかカフェモカにするか迷ったけれどカフェインが強そうなカフェラテにした。今日は6時間しか寝ていないしさっきお腹いっぱい食べて眠いから。絶対演奏中に寝てしまうと思う。でもカフェモカにすればよかった。朝吹真理子の『きことわ』を読んでいたけれど、本を読むには店内がちょっと暗い。

昨日買った黒のプリーツのワンピースを早く着たくて着てきたけれど、雨がとびはねるし湿気でプリーツが弱くなってしまうかもしれないから今日は本当は着てこない方がよかっただろう。でも本当に理想で綺麗なシルエット。昨日は吉祥寺パルコの古本市に行ってみたけれどとくに何もなかった。百年(古本屋)もお休みの日だった。火曜定休の古本屋は多い。

 

さっきまで国会図書館にいた。国会図書館を使うのは初めてだった。もっと手続きが煩雑で敷居の高いところだと思っていたのだけれど、そんなことはなかった。まず『sister on a water   vol.2』の大森静佳の特集を読む。短歌のことはよくわからないし全然読んでもいないけれど、たまたま読んだ『カミーユ』がすごく好きで、これもずっと読みたかったけれど私家版で手に入らず、でもそうか国会図書館にはなんでもあるのね…!と思ったが、山尾悠子の『角砂糖の日』は無かった。『sister〜』はとても良かった。本人の新作?「数えきれないうつくしい穴」も良くて全部写したし(横顔というのは生者にしかなくて金木犀のふりかかる場所)、座談会も面白かったし、本人インタビューやエッセイも内容が濃かった。なぜわたしが『カミーユ』をすごく気に入ったのかわかった気がする。第一歌集の『てのひらを燃やす』にはあった他者への諦念が、第二歌集ではそれでも向き合うという方向に向かったらしい。

「他人だから一体化はできない。以前はそう諦めることで透明になっていく詩情を追いかけたけれど、今は諦めたくない方向に、いったのかな」

わたしはあなたではないという孤独を引き受けたかたちで書かれたものに惹かれる。『カミーユ』でいちばん気に入っていて覚えていた「栞紐あげるとき遠くからわたしがわたしを呼ぶ声の棘」は、覚え間違えていて、本当は「栞紐ひきあげるとき遠くからわたしがわたしを呼ぶ声の棘」だった。

そのあと『トーキングヘッズ叢書』の松浦理英子特集。書くことの加害性や被差別者として書くことのあざとさへの言及があった。特に目新しいようなことは書かれておらず、というかもうわたしは松浦の考え方をかなりインプットしたのだと思う。群像で始まった連載の「ヒカリ文集」もこのあいだ読んだ。松浦は会話を書くのがとても上手だけれど、ついに戯曲の手法を取り入れていて面白かった。

瀬戸夏子の第一歌集も取り寄せて読んでいたのだけれど、どうしてもお腹が空いたのでカレーを食べて(美味しかった)、カレーを食べたら時間がなくなってしまってあまり読めなかった。手紙魔まみのところだけちょこっと読んだ。良かったやつ。

ゆゆ、これから傷つきに行くって顔してた。蜜蜂が口のなかからじゅくじゅく溢れて。

電話からきこえてくるのは雪だるまそれから貴方のSOSだけ

ゆっくりの雨すきとおる心臓はさわれないけど濡れているのね

日本を脱出したい?処女膜を大事にしたい?きみがわたしの王子様だ

また近いうちに行って続き読もう。

 

ジョージ・ベンジャミンの現代オペラ『リトゥン・オン・スキン(written on skin)』を観た。ぜんぜん寝なかった。オペラだけどオケがピットではなくステージ上にいるセミ・ステージ形式で、登場人物は5人と少なく、登場人物と別にダンサーが2人いて、オケの後ろに少し高いステージが組まれて大きなスクリーンがあり、ずっとステージとパラレルに映像が流れている。学生席だったからそれを横から眺める感じになってちょっと見づらかったのだけれど、それでも充分にたのしめた。歌と楽器とダンスと映像(映像の中にもダンスがあり字幕もでる)を四ついっぺんに浴びてなんだか飽和状態だった。話は中世フランスを舞台にしていてプロテクター(protector)という男とその妻と、画家の三角関係みたいな感じ(雑)なのだが、プロテクターという名、妻の「言葉なんて意味ないのよ女には!」とか「わたしは〈女〉じゃなくてアニエスよ!」といったセリフ、最後にそれらの悲劇を現代で消費することの残酷さを歌っていて、結構風刺的メッセージが込められているように感じた。逆にちょっと言い過ぎだとも思ったけれど。ちょっと変わった楽器も使われていて、グラスハーモニカの音を初めて聴いた。人間の声にちかい音がして、カウンターテナーとあわさるところが凄く綺麗だった。

言葉以外のものを言葉にするの難しい。