2019-08-19(造形的読書/青子/春子)

 

昨日まで三連休、今日から三連勤。もう蝉の声も聞き飽きたし暑いと思考がとけるので早く秋になってほしい。休みは続いてほしい。労働以外でどこにも出かけないので本の話ばかりになる。

 

カフカ『変身/断食芸人』

これまた読まなきゃいけないのに読んでない作家リスト筆頭だったカフカ。まず岩波文庫の見た目がとっても薄かったし、面白かったのであっという間に読んだ。こんな短いの?という呆気なさで、警戒して損した気もする。

 

スーザン・ソンタグの日記『私は生まれなおしている』

とってもいい。すぐ影響されるたちなので、無印で買ってあった薄いノートに考え事をメモしている(どうせ続かなくなる)。

5/25/49

今日、ひとつ考えついた——明白、いつだって明白なこと!こんなことを、今さらはじめて、唐突に悟るなんて、馬鹿げてる——なんだかいらついて、少しヒステリカルになる——私がどんなことをやろうと、自分以外にそれを止めるものは何も、何もない……ただ何かを取り上げ、何かから離れる、それを阻害するものがあるだろうか?自分の環境ゆえにあえて自分から押し付けている圧力だけじゃないのか、阻害要因は。でもこれまでは、その圧力がつねに万能に思えていたので、それに反することをあえて考えようともしてこなかった……でも実際のところ、何が私を止める?(以下もとてもいいけど長いから省略)

 

9/15/49

(うやうやしく、従順に、造型的に読書している!……)

よく知らない人の日記を読むのがとても好きだ。生活と書くことが一体になって、その人のことを一番表している気がする。結局わたしは人間のことが結構すきなんじゃないかと思う。ブログもいくつかお気に入りのがあってなんども読んでいるものもある。有名どころの日記ではアナイス・ニンのものと武田百合子のものをまだ読んでない(『犬が星見た』は途中で読むのをやめてしまった)。あとケイト・ザンブレノの『ヒロインズ』も気になる。日記は一気に読まずにちょっとずつ毎日寝る前とかに読むのが向いているから本当は手元に置きたいけれど、水声社から出ているアナイス・ニンの日記は5000円くらいするので躊躇う。どうせそのうち買うことになるのだから消費税の上がらぬうちに…とも思うけれど。

 

田崎英明ジェンダーセクシュアリティ

笑っちゃうくらい全然「ジェンダーセクシュアリティ」の話はしていない。ここでもフーコーの『知への意志』が参照されているので早いとこ読まなければならない。

ジュディス・バトラーはとても優秀なひとで、元々は哲学の出身(彼女の最初の本はフランスでのコジェーヴ以来のヘーゲル受容を扱ったもの)である。彼女に敢えて難癖をつけるとすればその頭の良さであるだろう。彼女はできるかぎり普遍的な答えを出そうとしてしまうので、私のようなヘテロセクシャルの男であっても、自分自身の存在がひっくり返されるような不安を感じることなしに彼女の理論に飛びつくことができてしまう。もちろん、これは彼女の問題ではなく、彼女を利用してジェンダーセクシュアリティをめぐる議論のなかに、自分自身を変えることなく潜りこもうとする「メインストリーム」の方の問題。

 

●松田青子『英子の森』

表題作だけ昨年の夏に読んでいたけれどそのままにしてあったので表題作以外を読む。松田青子が、岸本佐知子とか川上未映子とかその辺りの人(ちなみに解説は鴻巣友季子)と近いということは知っているけれど、どういう評価を下されているのかは知らない。文章のリズムや皮肉さに笙野頼子っぽさがある。世代がより近いからか笙野のものより読みやすい感じがする。しかし笙野は神話レベルのものを書き換えるという射程があるのに対して、松田はあくまで現代(2010年以降と言ってもいいかもしれない)のことを書いているのでそこらへんは異なる。どちらがいいというわけでもないだろうけれど。ただここでもやっぱり考えてしまうのは、皮肉屋になるのは簡単だということ。
解説で「英子の森」はウルフの「ダロウェイ夫人」を下敷きにしていると書かれていたので、そろそろウルフにとりかかるころ!(しかしこんなに身構えていて大丈夫かしら)

 

市川春子『虫と歌』

宝石の国』の最新巻が出るそうで、ここのところよくツイッターでみかけるので、『25時のバカンス』は先月読んでたけどこれも読んでみた。古本で買っちゃったけど、新品で買い直そうと思うくらいよかった。「日下兄妹」でうっかり泣いてしまったけど、たぶん一番わかりやすかったからだと思う。家族が描かれているのだけれど、いわゆる家族愛ではなくて恋愛にかぎりなく近く、だからこそうっとりとしてしまうのかもしれない。さらに彼女の作品では種の違いというレイヤーが入ってくるので、少女漫画でよくある〈禁じられた恋愛〉の萌えを回避している。精神分析とか知るとうんざりするのは、幼児期に父親の愛情を十分に受け取ってない云々というのが出てくるところで、そんなのどうだっていいのにもっともらしく理論づけられているところが嫌だ。

モノをひとに喩える(=擬人化)というよりは、ひとがモノになるという点ではカフカでは?と思ってツイッターでちょっと検索かけたら本人のインタビューが出てきて、カフカを好きと言っていた。でも市川春子のは擬人化の類としてみられているのだろうか?ユリイカ2010年2月号に小特集組まれているらしく、名久井直子が聞き手のインタビューあるし(わたしは名久井さんのことが大好き)、松田青子が論考?書いているっぽいので読もう。それにしてもアーカイブとしてのユリイカのありがたさ。